小説「強欲な町」(第14回)
「『圃場整備事業』の農家負担はどれくらいになるんですか?」野上が甘木に尋ねた。
「具体的な負担割合は事業を実施する地区ごとに異なるけれど、一般的には事業費の1割程度と言われているね」
「たったの1割ですか!残りの9割は公費、つまり、税金がつぎ込まれているってことでしょう?」
「実は、農家が負担する1割についても政府系の金融機関から、長期で低利な、そして一定の条件を満たせば無利子の融資を受けられるんだ。もちろん利子分は税金で補てんされるよ」
「ええ、本当ですか!それって、農家負担のほとんどに税金が充てられているということじゃないですか!農地って農家の個人資産じゃないですか!個人資産の価値を上げるために多額の税金がつぎ込まれていることに矛盾を感じますね」
「農家の個人資産とはいっても、農地は製造工場の建屋や機械・設備と同じ生産設備だけどね」
甘木が言った。
「同じ生産設備とはいっても、投入される税金の割合が違い過ぎますよ!」
野上が顔をしかめながら言った。
「確かに、今はそういう考え方をする人が多いと思うけど、終戦後の食糧難を経験した人は、農業に税金をつぎ込むのは当然だと考えている人が多いと思うよ。戦後の食糧不足を克服するために、国策として、主食である米の増産政策が推し進められたことが背景にあると考えているよ」
「でも、米が余っている今は米が足りなかった当時とは状況がかなり違っていると思いますが…」
「野上君の言うとおりだね。日本の人口が減少に転じたことや、食の多様化によって、主食である米の消費量が減ったことなどを考えると、米の増産という大義は無くなっているね。それに代わるものとして出てきたのが『食料安保』という考え方だよ」
「『食料安保』って何ですか?」佐久間が甘木に尋ねた。
「正式には『食料安全保障』のことで、人間の生命の維持に欠くことができない食料について、国内においては農業生産を増大させ、これと輸入及び備蓄を適切に組み合わせ、食料の安定的な供給を確保しようという考え方だよ。凶作や輸入の途絶等の不測の事態が生じた場合にも、国民が最低限度必要とする食料の供給を確保しようという狙いもあるよ」
「食料といっても主食の米は余り気味ですから、米以外の食料の確保が必要だと思いますが…」
野上が言った。
「そのとおり。現在、米の過剰生産を抑制するために『減反』が行なわれているけどね」
「所長、『減反』って何ですか?」佐久間が尋ねた。
「米の生産調整のことですよ。『減反』という言葉には、田んぼで米以外の農作物を作ることを奨励し、余り気味の米の生産量を減らそうという意味があるんですよ」野上が横から口を出した。
「野上君の言うとおり。でも『減反』という言葉が示すように、かつては米の作付けを制限していた時期があったんだ。米の作付面積を減らすために、田んぼの一部を除外して苗を植え、また稲穂が出始め間もなく収穫期を迎える8月頃に、稲稲を刈り取ってしまう『青田刈り』も行われていたんだ」
「『青田刈り』?もしかして、企業が就職協定の解禁前に優秀な学生に内定を出す『青田買い』はこの言葉から由来しているんじゃないですか?」佐久間が尋ねた。
「佐久間さんの言うとおり。しかし『青田刈り』という言葉には、天塩に掛けて育てた農作物を収穫前に刈り取って廃棄しなければならない農家の悲痛な思いが込められているよ。とにかく、このメールに書いてあることが本当のことなのかを確認する必要があるね。野上君、調査をしてもらいたい」
「はい、分かりました。すぐ、取り掛かります」野上は大きな声で返事をした。
(作:橘 左京)