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消費税の税率引き上げに伴う低所得者対策は軽減税率ではなく給付付き税額控除にせよ

2013年1月27日ニュース

  民主党政権時に民自公の3党合意で成立した消費税率の引き上げについては、翌年(2014年)4月に現在税率(5%)が8%に、翌々年(2015年)10月には8%から10%に改定される。消費税は商品(財やサービス)を購入した人に対し一律で課税されることから、所得水準に関係なく消費される食料品などの生活必需品については、税率が上がると所得水準の低い低所得者は高所得者よりも税負担率が大きくなる逆進性が指摘されている。このため自公連立政権では低所得者対策として軽減税率を導入する方向でまとまり、今後は軽減税率を適用する対象品目の絞り込みと適用する税率についての検討が行われる。

 私は、2つの理由から軽減税率の導入には反対である。一つには、軽減税率は低所得者だけでなく結果的に高所得者も恩恵を受ける制度になるからである。仮に食料品などの生活必需品が軽減税率の対象品目になった場合を考えてみよう。生活必需品は日々の生活を維持するために消費される商品であり、一人あたりの消費量(購入する数量)は所得水準に関係なくほぼ一定である。所得水準で違いが出てくるのは商品の購入単価である。同じ商品でも低所得者は廉価なものを高所得者は高価なものを選択する。以前、消費増税について尋ねた街頭インタービューがテレビで放映されていたのを覚えている。年金生活者と思われる方が100円ショップなど安い店での買い物が多くなるのではないかという感想を述べていたが、量は簡単には減らせないのでその代わりに購入単価を引き下げる低所得者の行動は容易に想像できる。消費税が導入される前に物品税という、奢侈(しゃし)品・嗜好(しこう)品など特定の物品を対象として課される間接税があった。主にぜいたく品に課税されていた物品税を払うのは高所得者であり、いわば累進性のある間接税として是認されていた。
 二つ目の理由は、軽減税率の対象品目に選定された業界団体が既得権者となることへの懸念である。既得権を与えた政権与党にカネ(政治献金)と票が集まる利益誘導政治を招くのではないかと危惧している。既に、新聞協会が新聞等の出版物を軽減税率の対象品目に選定するようロビー活動を行っていることは周知の事実である。

 次に、消費増税に対する低所得者対策として、軽減税率よりも給付付き税額控除を選択すべきと考える理由は以下のとおりである。軽減税率は低所得者だけでなく高所得者にも恩恵がある制度であるが、給付付き税額控除は低所得者だけを対象にできるという点では優れている。給付付き税額控除とは税額控除と手当給付を組み合わせた制度で、算出された税額が控除額より多い場合は税額控除を、少ない場合は給付を受けられる。例えば、10万円の給付付き税額控除を行う場合、税額が15万円の人は5万円を納付し(10万円が税額控除)、税額が5万円の人には5万円が支給される(5万円の手当給付)。通常の税額控除や所得控除と違い、課税所得がない低所得者も恩恵を受けられる。
 この給付付き税額控除を導入する場合、個人の所得を正確に把握することが前提条件になるが、現状では「クロヨン」と呼ばれているように個人の所得の捕捉は大変難しい。しかし、民主党政権のときに税制と社会保障の抜本改革に必要な基盤整備の一つとして検討されていた共通番号制度を導入すればこの給付付き税額控除が可能になる。この共通番号制度は社会保障と税に共通の番号を国民一人ひとりに割り振る制度である。社会保障制度と税制を一体化することにより、より正確な所得情報を把握して適正な課税や給付につなげることができる。この共通番号制度の導入には時間的制約や技術的なハードルだけでなく、プライバシー保護の観点からも克服すべき点が多いが、税の公平性確保の面からも有意義な制度と考えている。

(代表 天野市栄)

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新病院ができても「救急医療(二次救急)はできず、税金による赤字補てん」では、市民は納得しない!

2013年1月23日ニュース

 私が住む新潟県阿賀野市では、新年度から市立病院の建設事業がスタートする。平成27年3月開院を目指して、現在急ピッチで作業が進められている。新年度(平成25年度)からは病院施設の建設工事が行われる。総事業費は約75億円。財源は病院事業債(借金)が約48億円、合併特例債(借金)が約16億円、一般財源が約11億円。市の24年度一般会計予算約184億円の約半分を占める。市の財政規模と比較して、いかに大きな公共事業かお分かりいただけると思う。

 新病院の病床数は250床(一般200床、療養50床)で現在の病院敷地内に建設される。現在の病院施設は、私が市長時代の平成22年10月から指定管理者制度に移行し、現在厚生連(厚生農業協同組合連合会)によって運営されているが、新病院になっても引き続き厚生連が運営することになっている。
 市立病院は平成18年当初に常勤医師の大量退職(26人から半減)により救急診療が困難になった。私が市長に就任してからは、病院存続と経営赤字の解消、救急医療の早期回復を目的に、現病院施設を平成22年10月に厚生連に運営委託を行うとともに、厚生連と連携して医師確保に努め、この間数名の常勤医師を増員することができた。

 さて、先ごろ開かれた市議会の新病院建設・地域医療に関する調査特別委員会で重大な事実が明らかになった。知り合いの市議会議員の質問に対する市当局の回答から明らかになった事実を市民にお知らせしたくブログに掲載した次第である。
1点目は、新病院ができても市民が一番望んでいる救急医療(二次救急)ができないという点である。私が市長時代には新病院開院と同時に二次救急病院としてスタートできる体制が整うはずであったが、それができなくなりそうだ。現市長や市当局は市長公約である消雪パイプの新設や文化会館の建設を優先したいらしく、医師確保への取り組み姿勢は全く見られない。市立病院の常勤医師を確保するため、私が市長時代に創設した医学生修学資金貸付制度について、現市長は次年度から廃止すると公言している。調査特別委員会では、知人の市議の質問に対し医師確保の責任は市当局にあると認めたにもかかわらず、努力しているとだけ回答したそうだ。医師確保は現市長の公約の一つであったはずだ。これでは言っていることとやっていることがまったく逆ではないか。2点目は、新病院ができると赤字経営となり市からの赤字補てんは避けられない情勢になっていることである。赤字補てんには税金が投入される。私が市長時代にはそのような事態になることはありえないという前提で取り組んできたのだが…。

 このように、新病院ができても、①医師が集まらず救急医療はできない、②病院経営の赤字を税金で埋め合わせでは、市民は到底、納得しない。しかも、このような大事な事実が今まで、市議会や市民に全く知らされていないということがもっと大きな問題だ。3月の市議会定例会では病院建設事業費の予算審議が始まる。市当局の臭いものには蓋をする、隠ぺい体質が明らかになった。もっとも市長与党派(事実上のオール与党)のある議員が市長にエールを送るつもりで言った「大丈夫、予算は通るだろう。」との発言から推測すれば、一部の議員には周知の事実だったのかも知れない。しかし、この市議の不遜な発言には怒りを覚える。議会制民主主義を冒涜する発言だ。議会は合議制の審議機関で、この市議の一存で決まるものではない。しかも予算審議もしていないこの時期に、公の場でこのような発言を平気でする無神経さにはあきれてしまう。知人の市議の話では、自分以外に突っ込んだ質問をした市議がいなかったそうだ、監視機能が全く働かない市議会の実態がまた一つ明らかになった。
(あとがき)
 このブログでも、ガラパゴス状態の市議会の実態を市民に随時お知らせしてきたが(2011年12月)、いよいよ「政界文化遺産登録」も近いのではないかと期待している。

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第20編)~まとめ(その2)

2013年1月22日ニュース

 間接民主主義なるが故の制度的欠陥、すなわち国民(有権者)とその代表者たる政治家との間で確認されない委任事項、無責任な関係性、国民(有権者)の主権者たる自覚の喪失や政治参加への意識レベルの低下を克服するにはどうすれば良いか。直接民主主義を部分的に導入することである程度は回避できるのではないか。地方政治では住民の直接請求という形で部分的に認められているものの、国政レベルでは特定の地方公共団体にだけに適用させる法律(特別法)を制定する場合や憲法改正の際の国民投票が例外的に認められているだけである。

 次に民主主義の手続きとして採用されている数で物事を決める方法(多数決)にも問題はある。少数意見の無視がもたらす「多数派による専制」(トクヴィル)の側面や「最大多数の最大幸福」(功利主義)がもたらす倫理上の負の側面もある。また、最初は意見集約(調整)からは始めるにしても、数を背景に強引に自分たちの意見に集約することは容易である。数の力で無理が通り結果的に道理が引っ込む。こんな事態が日常的に起こるのではないかと心配している。今回の衆議院選で自公連立政権が復活したが、衆議院選で圧倒的な議席数を獲得した自民党に大幅な譲歩を迫られている公明党の対応を見ていると果たして与党の一員なのかと感じることがある。

 多数決という民主主義の手続きが、民主主義が生まれ育った欧米とは異質な歴史的、文化的、社会的背景を持つ日本社会に果たして馴染むものなのか。同質化社会の日本、日本人の国民性・気質からすれば、数よりもむしろ話し合いで物事を決める方が違和感はない。聖徳太子の十七条憲法第1条にある「以和為貴(和を以もって貴しとなし)」はまさに日本人の精神文化の本質ではないかと考えている。

(あとがき)
 ヒト、モノ、カネが国境を越えて移動する経済においては必然的に世界標準の仕様が求められる。資本主義経済は今や世界標準となった感があるが、一方政治体制の方はどうか。隣国、中国では経済は資本主義、政治は共産党の一党独裁政治が続いている。表現の自由など一部の人権が制約されてはいるが、天安門事件の時のような民主化に向けた活発な動きは見られない。経済成長が政治に対する国民の不満を吸収しているのかもしれない。
※参考文献:ウィキペディアフリー百科事典

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第20編)~まとめ(その1)

2013年1月20日ニュース

 イギリスの元首相チャーチルが逆説的な表現(注)で優位性を説いた民主主義は、過去試されたいかなる政治形態よりは優位性を持っているかもしれないが、果たしてこれからも優位性を保持できるのだろうか。

 ウィキペディアフリー百科事典によれば、「民主主義とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。」と説明している。この定義を基に民主主義を志向すれば、国家や集団の意思決定や権力行使に構成員全員が参加することは事実上不可能であることから、必然的に構成員から代表者を選出してその代表者に意思決定や権力行使を委ねる間接民主主義(議会制民主主義)が採用されることになる。

 このシリーズでもお伝えしたように間接民主主義が大きな危機に瀕しているようにも思えるし、むしろ大きな転機を迎えていると前向きに考える見方もあるかもしれない。間接民主主義の参加者は大きく分けて三者に大別できる。国家権力の主体であり自らの代表者を選出する権限を持った国民(有権者)、国民(有権者)から選ばれ実際に国家権力を行使する政治家、情報提供を通じて両者のコミュニケーション(意思疎通)を仲介する機能を持ったマスメディアの三者である。しかし、この三者に三権分立(立法・行政・司法)のような抑制・均衡といった明確な関係性や規則性は存在しない。三者が勝手気ままに動いているカオス(混沌)状態のような気がする。また、国民(有権者)に対する懸念材料として、主権者(国家権力の主体)であることの自覚の欠如や政治参加への意識低下が挙げられる。

 次に、多数決など数で物事を決めるルールにも違和感を覚える。選挙で代表者を選ぶにも得票数という数で決まる。また、その代表者(議員)が議会で表決するにも数で決まる。多数決で物事を決めようとすれば、数合わせや数の論理が優先され、意見集約(調整)は後回しになる。民主党政権時代に、衆議院と参議院とでねじれ状態になり法案が通らなくなったことから、当時の管直人首相が「熟議の国会」という言葉を盛んに使っていたようだが、数の論理には勝てず、ほどなく退陣を余儀なくされた。また、一人に等しく一票を与えるという考え方も数を基準にした考え方であるが、同じ一票でも深慮の一票と浅慮の一票とでは票の質は全く異なる。ではどうすればよいのか。※次号に続く。
注:「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けばだが。」

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第19編)~間接民主主義は無責任政治を招く?

2013年1月19日ニュース

 間接民主主義とは、国民が選挙などにより民意の代表者を選出し、その代表者に自らの権力の行使を信託するによって、国民を間接的に政治に参加させその意思を国政に反映させる政治システムをいいます。要するに、私たち有権者が選挙によって国会議員や自治体首長・地方議会議員(いわゆる政治家)を選んで、その者に統治権力を委ねることです。

 さて、ここで注意すべき点は、有権者は候補者や政党を選択するだけで、具体的な政策内容や政策実現については、候補者や政党に委任しているということです。いわば、有権者は白紙委任状を付けて候補者や政党を選んでいることになります。候補者の政見や政党の政策をみて投票しているのだから白紙委任ではないと反論される方もいるかもしれませんが、このシリーズでもお伝えしたように、メディアによる報道は偏向した情報であり、候補者・政党の政見や政策は選挙向けに作られた誇大広告のようなもので、鵜呑みにすることはできません。また、政治家は、二枚舌、三枚舌を駆使し八方美人のように振る舞い票を集めるのが得意な人たちです。また、言っていること(主張)とやっていること(行動)が一致しない言行不一致な人たちでもあります。(私も政治家をやっていたので、よく分かります。)有権者は政治家に白紙委任していることから、政治家としての資質に問題があっても言行不一致があっても、次の選挙まで彼らに責任を問うことはできません。(自治体首長や地方議会議員は任期途中であっても責任を問うことは可能です)

 一方、有権者の方はどうでしょうか。実は、有権者も特定の候補者や政党を選んだことに対する任命責任を問われないという点では同様に無責任な立場にあります。責任を問われないことから安易な判断や選択をする傾向があります。多くの有権者はメディアが流す情報や候補者・政党が訴える政見や政策を鵜呑みして投票先を選択したり、先を見据えた理性的・知的な判断よりも一時的な情緒や感情に流されて候補者や政党を選択しがちです。

 巷では「誰が政治家になっても、どの政党が政権を取って、世の中は良くならない。」という嘆き節が聞こえてきますが、選ばれる政治家も選ぶ有権者も互いに無責任な立場にある以上、信頼関係を構築することは無理ではないかと考えています。

(あとがき)
 ハナ肇とクレージーキャッツの歌に「無責任一代男」というヒット曲がある。歌詞は人生を要領よく生きて最後は社長で終わったという一代記を綴っているが、人生は無責任に生きることが大事で、こつこつとまじめに生きる人生は無駄だという趣旨で締めくくっている。ボーカルは植木等。植木等といえば、高度経済成長期(1960年代)を象徴するコメディアンである。東宝映画の「無責任シリーズ」の主役を演じ、「無責任」という流行語まで生まれた。高度経済成長期は私の小学校時代であるが、当時は一部の怠け者や無責任な社員がいても、会社は成長し世の中(社会)も良くなるという好循環を生んでいたのだろう。誠にうらやましい限りである。しかし、そのような時代が到来することは二度とないであろう。
※参考文献:ウィキペディアフリー百科事典
(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第18編)~メディアは最強の既得権者

2013年1月17日ニュース

 先日、私が愛読する地元紙の社会面に「新聞、書籍に軽減税率を 新聞協会声明 欧州では共通認識」という見出しの記事を読んで、「我田引水」のような気がして思わず苦笑してしまいました。消費税率引き上げ(14年4月から8%、15年10月から10%)に伴う低所得者対策として、政府・与党間で軽減税率(複数税率)の採用が検討されています。今後は軽減税率の対象品目についての議論が行われる予定ですが、地元紙の記事によれば、日本の消費税にあたる付加価値税を導入している欧州では新聞に対する税率が低く抑えられている点を紹介し、新聞協会声明として新聞、書籍、雑誌も対象品目に含めるべきだという意見が載っています。また、ご丁寧にも新聞協会が実施したアンケート調査でもそのような意見が多かったことまで添えてあります。

 さて、本題に入ります。このシリーズでも述べたように、メディアは「報道の自由」を武器に巧みに世論を作り出し、また世論を操作・誘導しながら、民意を一定の方向に向かわせるほどの力を持った権力者です。このほかメディアは「既得権者」という顔も持っています。それは市場経済という競争環境から擁護された業界団体であるという点です。皆さんは「再販売価格維持」という言葉をご存じでしょうか。要するにメーカー(新聞社、出版社)が小売業者(新聞販売店、書店)に対し商品(新聞、書籍、雑誌)の小売価格の値段変更(値引き)を許さずに定価で販売させることができるという特権です。この「再販売価格維持」は、流通段階での自由で公正な競争を阻害し、需要と供給の関係で決まる正常な価格形成が妨げられ、結果的に消費者利益を損なうため、資本主義経済国の多くでは、独占禁止法上、原則違法とされていますが、日本では新聞、書籍、雑誌などの媒体については一定の要件の元に容認されています。

 このように、憲法で保障された「報道の自由」と「再販売価格維持」による確固たる財政基盤を持つメディアは政治家に勝る権力者であり最強の既得権者です。政治家がこの既得権益に手を付けようとすれば、ひどい仕打ちを受けます。クワバラ、クワバラ。政治家は政治生命を断たれないようメディアと上手に付き合うべきだと、私自身そのように痛感しています。(苦笑)
※参考文献:ウィキペディアフリー百科事典

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第17編)~利益の分配か不利益の分配か(その2)

2013年1月15日ニュース

 前回のブログでは、利益分配の原資を国債(借金)に依存すれば、現世代は利益の分配を受ける一方で将来世代は不利益(負担)の分配を受けざる得ない不公平な状況が生まれていることをお話ししましたが、平成24年度の国家予算の歳入・歳出予算(総額約90兆円)を概観しながら、詳しく説明します。歳入の内訳は、税収が約42兆円(47%)、税外収入が約4兆円(4%)、公債金(借金)が約44兆円(49%)となっています。次に歳出では、公債費(借金の返済金)が約22兆円(24%)、社会保障関係費が約26兆円(29%)、地方交付税交付金が約17兆円(19%)、文教及び科学振興費が約5兆円(6%)、防衛費約5兆円(6%)、公共事業費約5兆円(6%)、その他経費が10兆円(10%)となっています。
 実に歳入予算の半分は借金で賄われ、歳出予算の4分の1が借金の返済金です。しかもこの約44兆円の借金の8割は当該年度の税収不足に充てられる赤字国債です。赤字国債は現世代のために使われ将来世代につけが回される性質の借金です。いわば、利益を受ける現世代と不利益を受ける将来世代という不公平な関係が生じてしまうのです。

 次に、既得権者に優先的に利益分配が行われた結果、不利益の分配が生じてしまうケースを紹介します。社会保障関係費の約6割を占めている高齢者3経費(年金、医療、介護)を例にしてお話しします。一つは年金です。年金は物価が上がれば年金額を上げ、物価が下げれば下げるのが本来のルールですが、物価が下がっているにもかかわらず年金額は据え置かれたままになっています。その結果、2000年から2011年度までの過払い給付額が約7兆円、税負担で1.7兆円にも達しました。次に医療です。70~74歳の医療費の窓口負担は法律では2割ですが、1割に据え置かれたままになっています。1割に据え置くため毎年2000億円の公費が投じられています。
 なぜこのような不条理なことが行われるのでしょうか。理由は選挙対策です。年金減額や窓口負担の引き上げは高齢者の反発を招き、選挙結果に響くとの心理が働くからです。ここで紹介したのはほんの一例ですが、限られた分配の原資が一部の既得権者に一人占めされていることから生じる不利益の分配もあることを、ご承知いただきたいと思います。

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第17編)~利益の分配か不利益の分配か(その1)

2013年1月12日ニュース

 選挙での有権者の一番の関心事は「景気対策」です。なぜでしょうか。私たちの生活に一番身近な、私たちの利益につながるテーマだからです。選挙で増税を訴えても票になるどころか票が逃げてしまいます。有権者の不利益になるテーマだからです。今回の衆議院選で消費増税が争点にならなかったのはなぜでしょうか。選挙前に民自公の3党合意で消費増税法案が国会で成立していたことから、いまさら元に戻せないという諦めの境地でしょうか。

 候補者・政党が訴える政見や政策に高邁な理想や理念は不要です。選挙では有権者にとって利益になると感じる政見や政策を示すことが大事です。自民党政権と民主党政権とで、利益分配政策に大きな違いがあります。自民党は、公共事業(ハード)に代表されるように、業界団体(供給サイド)を通じた利益分配が中心です。一方、民主党は「コンクリートからひとへ」(ソフト)で分かるように、有権者個人(需要サイド)への利益分配が中心になっています。
 共通しているのは、いずれも国債の発行(借金)によりその財源が賄われている点です。前者は建設国債の、後者は赤字国債の発行により財源を調達しています。その借金を返すのは誰でしょうか。現世代だけではなく、今は選挙権を持たない将来の世代も含まれます。つまり、現世代は利益の分配を受けるだけ、将来世代は不利益(負担)の分配を受けるだけという不公平な関係が生じます。建設国債で造る道路などの公共インフラは将来世代も使うのだから不公平ではないという意見もありますが、人口減少に伴い利用されない遊休施設が増えてくることも予想されます。そうなれば利益ではなく負担だけを押しつけられる結果になってしまいます。皆さんはどのように考えますか。※次号に続く。

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第16編)~選挙に潜むポピュリズムの罠

2013年1月3日ニュース

 ポピュリズムは、政治に関して理性的・知的な判断よりも情緒や感情によって態度を決める政治姿勢を言います。民主化運動のように、中央政府や大企業など特権的な立場・階層に向けた民衆の反感・不信・反抗心・対抗心が改革の原動力となることもありますが、逆に、政治リーダーが意図的に大衆の欲求不満や不安をあおって自身への支持を集めるための手法として使うこともあります。(衆愚政治と言います。)

 選挙の時期になるときまってポピュリズムが出現します。今回の衆議院選では、原発やTPP、消費増税がポピュリズムの対象になりました。政権獲得を意識する政党はこれらの課題に対し、曖昧な態度をとり続けました。選挙期間中の候補者の主張・訴えにも所属する党の政策との不整合・不一致が目立ちました。

 特に原発に対するポピュリズムを眼に見える形で確認することができました。毎週金曜日の夜に首相官邸前をメインに霞ヶ関(官庁街)一帯で行われた脱・反原発集会です。来るべき衆議院選を有利に戦おうと現職の国会議員もスピーチに立ったようです。ところが野田佳彦首相(当時)が、自民党の安倍晋三総裁(当時)との党首討論で衆議院の解散時期を明言した11月14日以降、メディアはこの種の抗議集会を伝えていません。その後、抗議集会が行われなかったからでしょうか。そうだとすれば何か尻切れトンボで終わったような感じを受けます。しかも選挙結果でわかるように、メディアも注目する大集会(主催者発表100万人規模)にもかかわらず、有権者の票を脱・反原発に向かわせるほどのエネルギーにはならなかったようです。昨年の後半から電力各社が相次いで電気料金の引き上げを国に申請しました。原発代替の火力発電の燃料費の増加に伴うものです。抗議集会に参加した人たちも、理性を働かせ、冷静になって自分たちの生活を考えると、現実的な選択をせざるを得なかったのではないかと推測しています。

(代表 天野市栄)

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選挙と民主主義(第15編)~民意が反映されない現行選挙制度(小選挙区制)の欠陥

2013年1月2日ニュース

 自民党の圧勝と民主党の惨敗で終わった今回の衆議院選。1党が大勝する雪崩現象が起きました。前回の衆議院選でも確認されたことですが、獲得議席が一方に大きく振れやすい小選挙区比例代表並立制の欠陥が明らかになりました。小選挙区(定数300)での両党の得票率と議席獲得率を比較すると雪崩現象がよく分かります。自民党は43%の得票率で79%の議席を獲得し、民主党は23%の得票率で9%の議席しか獲得できませんでした。自民党は得票数の2倍の議席を獲得し、民主党は得票数の2分の1の議席しか獲得できなかったことになります。前回の衆議院選では今回とは全く逆の結果でした。言うまでもないことですが、1人しか当選できない小選挙区では大量の「死に票」が発生します。この小選挙区の欠陥を是正するために、①中選挙区制を復活すべき、②比例代表を中心とした制度に改革すべきなどの意見がありますが、小選挙区制の持つレバレッジ効果で圧勝した自公政権に選挙制度改革を期待することは無理かもしれません。

 「投票価値の不平等」が拡大したとして、小選挙区の区割変更が行われないまま実施した今回の衆議院選の無効を求め、全国各地で一斉に訴訟が提起されました。私は、民意が反映されない、すなわち「死に票」が大量に発生する現行の選挙制度(小選挙区制)それ自体も、「投票価値の不平等」にあたると考えています。
 この「投票価値」を計る基準になっている数字が有権者数ですが、第4編「投票率と投票価値の平等」で述べたように、有権者数ではなく実際に投票した人の数(投票者数)を基準にすべきと考えています。(詳細はこちら )一方、「死に票」が大量に発生する小選挙区制は、実際に投票した有権者の意思(民意)が反映されないという制度的欠陥を内包しています。当選者(1人)の獲得票数と落選した候補者(複数)の獲得票数を比較すれば、いかに「死に票」が多いかが分かります。皆さんはどのように考えますか。

(代表 天野市栄)

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