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選挙と民主主義(第20編)~まとめ(その1)

2013年1月20日ニュース

 イギリスの元首相チャーチルが逆説的な表現(注)で優位性を説いた民主主義は、過去試されたいかなる政治形態よりは優位性を持っているかもしれないが、果たしてこれからも優位性を保持できるのだろうか。

 ウィキペディアフリー百科事典によれば、「民主主義とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体を指す。」と説明している。この定義を基に民主主義を志向すれば、国家や集団の意思決定や権力行使に構成員全員が参加することは事実上不可能であることから、必然的に構成員から代表者を選出してその代表者に意思決定や権力行使を委ねる間接民主主義(議会制民主主義)が採用されることになる。

 このシリーズでもお伝えしたように間接民主主義が大きな危機に瀕しているようにも思えるし、むしろ大きな転機を迎えていると前向きに考える見方もあるかもしれない。間接民主主義の参加者は大きく分けて三者に大別できる。国家権力の主体であり自らの代表者を選出する権限を持った国民(有権者)、国民(有権者)から選ばれ実際に国家権力を行使する政治家、情報提供を通じて両者のコミュニケーション(意思疎通)を仲介する機能を持ったマスメディアの三者である。しかし、この三者に三権分立(立法・行政・司法)のような抑制・均衡といった明確な関係性や規則性は存在しない。三者が勝手気ままに動いているカオス(混沌)状態のような気がする。また、国民(有権者)に対する懸念材料として、主権者(国家権力の主体)であることの自覚の欠如や政治参加への意識低下が挙げられる。

 次に、多数決など数で物事を決めるルールにも違和感を覚える。選挙で代表者を選ぶにも得票数という数で決まる。また、その代表者(議員)が議会で表決するにも数で決まる。多数決で物事を決めようとすれば、数合わせや数の論理が優先され、意見集約(調整)は後回しになる。民主党政権時代に、衆議院と参議院とでねじれ状態になり法案が通らなくなったことから、当時の管直人首相が「熟議の国会」という言葉を盛んに使っていたようだが、数の論理には勝てず、ほどなく退陣を余儀なくされた。また、一人に等しく一票を与えるという考え方も数を基準にした考え方であるが、同じ一票でも深慮の一票と浅慮の一票とでは票の質は全く異なる。ではどうすればよいのか。※次号に続く。
注:「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けばだが。」

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者