小説「廃屋の町」(第2回)
4月27日。甘木が田沼市長に就任する日の朝を迎えた。黒塗りの公用車が甘木の自宅前に止まった。
「おはようございます。甘木市長」
総務部長の中山邦夫と秘書係長の日下部俊夫が、玄関先に出て待っていた雄一と美由紀に挨拶した。
日下部が車の後部座席のドアを開け甘木が乗り込んだ。甘木を乗せた黒塗りの公用車が静かに動き出し、住宅街を抜けて市役所の正面玄関前に止まった。大勢の職員が甘木新市長を拍手で出迎えた。同級生の風間健一、久保田恵子、小島孝雄の姿も見える。女性職員から花束を受け取った甘木は日下部に導かれ、エレベーターに乗って二階の市長室に向かった。
市長室に入った甘木は黒い革張りの椅子に腰を下ろしたが、なんとなく座り心地が悪い。出版社に勤務していた頃のオフィス用の椅子の方が落ち着くような感じがした。机には当選祝いの祝電が束になって積まれていた。県知事や県内市町村長、国会議員、県議会議員、建設業協会など業界団体の長から届いた祝電が机の上に山積みになっていた。甘木は最初の5、6通に目を通した後、祝電の束を机の抽斗に仕舞い込んだ。
「失礼します」
甘木に花束を渡した女性職員が部屋に入ってきた。緑茶を入れた湯呑を甘木の机にそっと置いた。
「秘書担当の佐久間涼子と申します。よろしくお願いします。甘木市長、今度、ご自宅から湯飲み茶わんとコーヒーカップをお持ちになってください。そちらに飲み物をお入れしますから……」
「分かりました。明日持ってきます。佐久間さんは、先ほど玄関前で、花束を渡してくれた方ですよね?」
「はい、そうです。あ、そうだ!甘木市長、水を入れたバケツを持ってきますので、そこに花束を入れてください。そうすれば、お家に帰るまで大丈夫ですから」
「ありがとうございます」甘木は女性職員に笑顔で応えた。
佐久間と入れ替わりで、秘書係長の日下部が入ってきた。甘木は日下部から名刺の入ったケースを受け取った。名刺には「田沼市長 甘木雄一」と書いてあった。
甘木は、日下部から今日の日程についての説明を受けた。午前10時には講堂で職員訓示、午後からは市議会議長と周辺市町村長への挨拶回り、翌日からは国や県の関係行政機関への挨拶回りが続く。
午前10時。講堂に集まった三百数十人ほどの職員を前に、甘木は訓示した。
「おはようございます。このたびの市長選挙で多くの市民の皆さまからご信任を賜り当選させていただきました甘木雄一です。私は政治家経験や行政経験は全くありません。職員の皆さんからご指導、ご鞭撻をいただきながら、光の当たらない場所や光の届かない市民に夢と希望の光を届け、また、田沼市の将来を担う子供たちの明るい未来を創造するために、市民が主役の市政を実現してまいりたいと考えています。どうぞよろしくお願いします」
講堂の後ろには地元紙「長野日刊新聞」と地域新聞「月刊たぬま新報」の二人の記者が取材に来ていた。甘木は何度も報道カメラのフラシュを浴びた。
(作:橘 左京)