小説「廃屋の町」(第14回)
3年半ぶりに東京に戻った雄一は人目を気にせずにプライベートな時間を家族と過ごせることになって、ほっとした気持ちになった。地元の田沼市に住んでいると、何時でも何処に居ても自分が公職にあるということを意識させられる。公務の時だけではなく、家族とプライベートな時間を過ごしている時でも人目を感じることがある。自分は相手のことを知らなくても、相手は自分ことを知っている。
市長に当選して間もない頃、家族と一緒に市内のレストランで食事をしていた時のことだ。60代後半の男性が甘木と家族が座っているテーブルに近づいて「甘木雄一市長さんですよね?この度は市長当選、おめでとうございました。選挙では、私ら家族5人全員、甘木さんに一票を投じました。申し遅れましたが私は横田という者です。市役所の建設課に務めている横田紀夫の父親です。息子がお世話になっています。これからも息子をよろしくお願いします」と言って挨拶を受けたことがあった。
市長という公職に就いた甘木にはプライベートな時間は限られている。とは言え、家族で過ごす時間だけでもそっとしておいて欲しいと、甘木は思った。大都会の東京にいる今は、全てがプライベートな時間だし人目を気にすることもない。
昼食を済ませた後、雄一たちは園内を歩いて回った。ジャイアントパンダ、スマトラトラ、インドライオン、アジアゾウなど、上野動物園の人気動物を一通り見て回った。
「動物さんたち暑いのかな?口を開けて、はあ、はあって息をしているよ」春香が言った。
「口を開けて、体の中に貯まった熱を外に逃がしているんじゃないのかな?春香もテレビで見たことがあるだろう。サバンナに暮らす野生動物も日差しの強い日中は、木陰でのんびりと過ごしているからね。野生動物が獲物を求めて活動を始めるのは日が暮れて涼しくなってからだよ」
雄一が言った。
「でも動物園で飼育されている動物は、野生動物と違って、獲物を捕まえなくてもいいわ。なんだか家畜みたい」春香が言った。
「そうね。動物園で買われている動物は、家畜みたいに食べ物の心配が要らないからいいわね。でも人間は違うわよ。大人なったら親から独立して自分の力で生活できるようにならないとね」
美由紀が言った。
「お母さんに言われなくても、分かっているわ!」
「春香は大きくなったら、どんな仕事をしたいんだい?」雄一が尋ねた。
「春香はねえ、動物園の飼育員になりたいの」
「ええ!この前はサッカーの選手になりたいって言ってたじゃないか」
「いいのよ。子供の夢はいろいろと変わるものよ」美由紀が言った。
確かに子供が抱く将来の夢はコロコロと変わっていく。雄一も小さい頃は両親が中学の先生をしていたこともあり、教師になりたいと漠然と思ったこともあった。しかし、読書が好きだったこともあり、大学は文学部に進学し、将来は歴史物の小説を書きたいと就職先は出版社を選んだ。それが今は政治家である。人生は終わってみないと分からない。上野動物園を出た3人は次の目的地の浅草に向かった。
(作:橘 左京)