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小説「祭ばやし」(第2回)

2017年1月15日ニュース

 農村社会で行われる神社の祭礼は農事と密接に関わっている。夏祭りは厳しい夏季の農作業による労働の疲れを癒す意味合いがある。また秋祭りは収穫の秋を祝い、遠い祖先の昔から一番身近なところにある氏神に感謝する神祭りだ。このように神社の祭礼は神と人々とのつながりを強めることによって農村社会(共同社会)の絆を強化する役目を果たしてきた。一方、子供にとっては神社の祭りは別の意味での大きな関心事であった。神社の境内にたくさん並ぶ露店での飲食やゲームだ。さほど広くはない境内に「たこ焼き」、「ポッポ焼き」、「かき氷」などの飲食物や「金魚すくい」、「射的」、「ヨヨーつり」などのゲームと、いろいろな屋台が所狭しと出店する。祭り好きの徹は、20代の頃、秋祭りになると兄の健二と神輿を担いだ。
 しかし経済成長に伴い農村社会から工業社会へと社会構造が大きく変容していくなかで、地方にいる若者は職を求めて故郷を離れ都会へと流れていった。このため、祭りのクライマックスとも言える神輿の担ぎ手や山車を引く若者が地元からいなくなり、夏祭りや秋祭りが廃止された地域も多い。徹の実家のある集落でも秋祭りが絶えて久しい。

 徹が暮らす町では毎年8月24日と25日の2日間の日程で夏祭りが行われる。夏祭りというのは近くにある諏訪神社の例大祭のことだ。諏訪神社の例大祭は祭祀圏にある町内会にとっては氏子として参加する大事な祭礼であり、町内会行事の中では最も力を入れている催事でもある。この町に移り住んで初めて、徹は町内会の祭典委員になった。今年の夏祭りは平日開催のため、徹は会社の夏季休暇を利用して参加するにした。有名な観光地では誘客を考えて、夏祭りの開催日を週末の土日に変更したところもあるが、徹の住んでいる町の夏祭りは諏訪神社の例大祭の期日に固定されている。例大祭になると、普段は神社に鎮座する御神体(氏神)がお神輿に移されて、そのお神輿が下界(町の中)を巡行する。24日には御神体をお神輿に移す「宮出し」が行われ、25日には巡行を終えたお神輿から御神体を神社に戻す「宮入り」が行われる。

 お神輿が下界を巡行する経路上には、昼間は町内会の山車がお神輿に随行して練り歩き、夜になると町内会自慢の灯篭が練り歩き、お神輿の露払いを務める。この時、若い男衆や女衆が担ぐ灯篭がお神輿の巡行先に先回りして、ぶつかったり押し合ったりする。灯篭がぶつかり合うのは神さまがお帰りなるのを遅らせるためとか、また神さまが、灯篭をぶつけ合う若者の勇壮な姿を好むためとも言われている。各町内会から参加する灯篭の側面には工夫を凝らして制作された絵柄が張り付けられる。この絵柄のことを灯篭絵(とうろうえ)と呼んでいる。夏祭りの時期になるとこれまで制作した灯篭絵がお神輿の巡行する道路沿いに展示される。徹の町内会が制作する灯篭絵は代々、武者を描いたものが多い。
 徹に割り当てられた祭典委員の仕事は、24日夜の宵宮祭と25日夜の宮入りに参加する女性灯篭の飲み物を運搬する係だ。缶ビールやソフト・ドリンクを積んだ台車を引いて灯篭に随行する。徹は祭典委員としての仕事が入っていない時間帯は家族で祭りを楽しむことにした。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「祭ばやし」(第1回)

2017年1月13日ニュース

 野上徹は妻の由紀子と娘の春香の家族3人で都市部にある住宅街に住んでいる。この町に暮らし始めて丸6年が経った。野上の実家は農家で、野上の家から車で1時間ほど走った中山間地域にある。実家では兄の健二が後を継いで米作りをしている。田植えと稲刈りの時期になると、徹は実家に帰って農作業を手伝う。農作業の報酬は自家米と自家野菜だ。実家に帰ると徹は子供の頃に遊んだ故郷の情景を思い浮かべる。
 家の前に広がる田んぼの絨毯、緑や黄色の中に点在する農村集落、背後に見える山並み。
 春の緑色、夏の青色、秋の黄金色、冬の白と黒。
 春は青葉の匂い、夏は草いきれ、秋は稲わらの匂い、冬は鼻を刺す冷たい空気の匂い。
 ド、ド、ド ダ、ダ、ダ 春はたんぼを耕す耕運機の音。
 ジー、ジー、ジー 夏は蝉の声。
 ザク、ザク、ザク 秋は鎌で稲穂を刈り取る音。
 ヒュー、ヒュー、ヒュー 冬は北風の音。
 徹が子供の頃の故郷には四季折々の色と匂いと音があった。しかし徹の遊び場だった山野を除けば当時を伝える面影は今はない。

 徹が子供の頃は、農作業がまだ機械化されていなかった。農家は田植えと稲刈りの時期になると、猫の手も借りたくなるほどに忙しくなる。農家にとって子供は頼りになる貴重な労働力だった。徹も小学校の高学年生になると、中学生の健二と一緒に家の近くにある田んぼに出掛けて親の手伝いをした。
 田植えは5月下旬から始まる。旧暦の皐月は田植えをする月の意味だ。徹と健二は学校から帰ると家の裏手にある苗代田に向かう。苗代田では祖父母がビニールの堆肥袋に籾殻を詰めて作った腰掛に座って、程よく伸びた苗を両手で丁寧に抜き取っている。抜き取った数十本の苗を根元で揃えて稲わらで結束する。二人はその苗の束を集め麻袋に入れる。苗の入った麻袋を自転車の荷台に積んで、近くの田んぼで田植えをしている両親のもとに届ける。
 田んぼに着くと自転車の荷台から麻袋を降ろして、代わりに空になった麻袋を持って苗代田に戻る。田んぼで田植えをしている両親は二人が運んだ麻袋から苗の束を取り出して、腰に巻いた苗籠に補充する。両親は膝や腰を曲げた低い姿勢を取りながら、筒状の田植え定規で引かれた升目の交点に苗を差し込んでいく。50メートルほどある畦と畦の間を、上体を折り曲げながら泥濘に足を取られながら苗を植えていく。時々、上体を起こしては硬くなった腰や背中の筋肉を伸ばす。徹も苗を運ぶ合間を縫って、田植えを手伝うが親のスピードにはかなわない。農家にとって田植えは重労働だった。
 9月下旬になると稲刈りが始まる。徹と健二は学校から帰ると自転車に乗って田んぼに向かう。田んぼでは両親や祖父母が鎌で黄金色に実った稲を刈り取っている。身を屈めた低い姿勢で稲を刈り取り、上体を起こして刈り取った数株の稲を稲わらで結束する。この時、硬くなった腰や背中の筋肉を伸ばす。二人は稲の束を一輪車で運んで稲架木(はさぎ)に掛ける手伝いをする。農家にとって稲刈りも重労働だった。(作:橘 左京)

【お知らせ】
 小説「山田研一 ただ今 単身赴任中」はライブラリーの文芸コーナーにアップされました。

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「山田研一 ただ今 単身赴任中」(第11話)

2017年1月9日ニュース

由紀子と弥生が東京に来て3日目の朝。窓のカーテンを通過した朝日が研一たちの寝ている部屋を明るくした。
「あら、いやだわ。もうこんな時間。みんな起きて。」
布団から起き上がった由紀子が部屋の時計を見て、研一と弥生に言った。
「おはよう。いやー、よく眠れた。」由紀子の声で起き上がった研一が両腕を伸ばして言った。
「ええー、私はまだ眠たいわ。」弥生が目をこすりながら眠たそうな顔をして言った
「弥生。今、何時だと思っているの。もう8時過ぎよ。」
 昨日は午後9時半に社宅に帰り、就寝したのが11時頃だった。東京ディズニーランドで終日、立ちっぱなしで過ごした疲れが出たのか、3人は朝寝坊した。

 今日は日曜日。由紀子と弥生が新潟に帰る日だ。午前中、東京駅周辺で観光や買い物をした後、午後の新幹線で帰る予定になっている。朝食をとった後、研一たちは電車に乗って東京駅に向かった。駅のコインロッカーで由紀子と弥生の旅行鞄を預けた後、丸の内口から出た3人は皇居に向かった。普段は車が往来する日比谷通りだが、今日は歩行者天国になっている。広い道路でサイクリングを楽しむ若者やジョギングをする人たちが見えた。
 研一たちは日比谷通りを横断して皇居前広場に入った。皇居前広場の一番の人気はなんといっても伏見櫓を背景とした「二重橋」だ。ツアーガイドの女の人が手旗を持って観光客の一団を二重橋の方角に案内していた。研一たちも後に続いた。
 皇居前広場を歩きながら弥生が、「お父さん。皇居って天皇陛下が住んでいるお家でしょう。屋敷が広すぎてどこにお家があるのか分からないわ。」と研一に尋ねた。
「皇居は東京ドームの約25倍もの面積があるんだ。江戸時代に徳川幕府のお城、江戸城っていうんだけれど、その江戸城があった場所が明治時代になって皇居になったんだ。天皇、皇后両陛下が普段、住んでいるお家のことを『御所』と言うんだけど、ここからは見えないよ。」研一は答えた。
「こんなに広いお屋敷にたった二人だけで住んでいるの。」弥生が興味深そうに研一に尋ねた。
「広い皇居の中には、御所のほか宮中での行事や儀式に使われる宮殿、宮内庁や宮内庁病院、皇宮警察本部といった役所の建物もあるよ。これらの建物で勤務している人も沢山いるんだ。」研一が答えた。
「えー、そうなんだ。皇居って大勢の人たちが住んでいるのね。」弥生は納得した様子で頷いた。
二重橋の前では大勢の観光客が写真を撮っていた。
「すみません。シャッターを押してもらいたいんですが…」
研一は写真撮影を終えた3人グループの若者に声を掛けて、若者の1人にスマホを預けた。
「いいですか。」
カシャ
「もう1枚お願いします。」
カシャ
「ありがございました。」研一は、写真を撮ってくれた若者にお礼を述べた。

 東京駅に戻った研一たちは、丸の内駅舎をバックに写真を撮ることにした。丁度、研一たちが立っている場所で、駅舎に向けて写真を撮っていた年配の男性がいたので、研一はこの男性にスマホのシャッター押しを頼んだ。
カシャ
また1枚、年賀状用の家族写真ができた。
 丸の内駅舎は東京駅が誕生してまもなく100年を迎えることから保存復元工事が行われ、2012年10月に創建当時の駅舎が復元した。しかし駅舎の背後には創建当時にはなかった高層ビルが八重洲口方向に林立している。また夜間は駅舎がライトアップされ、首都東京の風格ある夜間景観を形成している。
 研一と弥生は由紀子の買物に付き合うため、丸の内ビルディングに入った。通称「丸ビル」はオフィスビルであるが商業施設としてフロアーもあるので、休日でも大勢の買い物客で賑わっている。丸ビル内のショップを見て回った後、今度は道路を挟んで向かい側に建っている「新丸ビル」に移動してショップを見て回った。
 3人は丸の内口から連絡通路を通って反対側の八重洲口にあるデパートに向かった。お土産などの買い物をした後、デパート内のレストラン街で昼食をとることにしたが、どの店の前にも長い行列ができている。3人は比較的空いている中華料理店に入って遅めの昼食をとった。八重洲口から駅の構内に入って、コインロッカーから2人の鞄を取り出して、上越新幹線のホームに向かった。程なくホームに入って来た帰りの新幹線のドアが開いて由紀子と弥生が乗り込んだ。ドアが閉まって新幹線が静かに動き出した。窓越しから弥生が研一に向かって手を振った。研一も手を振って応えた。
 研一は由紀子や弥生と過ごした週末の3日間を振り返り、東京の不思議な魅力を感じた。オフィス街に建つ歴史的な建造物と近代的な高層ビル群の醸し出す奇妙な調和、平日と週末にオフィス街を行き交う主役の交代など…。
 来週からはお盆の休暇も加わり土日も入れた5日間の長期休暇に入る。帰省すれば研一の誕生日のお祝いと弥生の夏休みの自由研究の手伝いが待っている。よし、明日からまた仕事に頑張るぞ。研一は自分にそう言い聞かせて、由紀子と弥生を乗せた新幹線が視界から消えるまでホームにたたずんでいた。(了)
(作 橘 左京)

【おしらせ】
小説「山田研一 ただ今 単身赴任中」は近日中に、加筆・修正の上、ライブラリーに収納します。

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「山田研一 ただ今 単身赴任中」(第10話)

2017年1月6日ニュース

 由紀子と弥生が東京に来て2日目。3人は研一の社宅で朝を迎えた。今日は東京ディズニーランドに出掛ける日だ。昨夜の熱帯夜に続いて、今朝も夏の強い日差しが朝食を食べている部屋に容赦なく差し込んでいる。
「お父さん。東京の夜って、どうしてこんなに暑いの。よく眠れなかったわ。」弥生が研一に尋ねた。
「ヒート‐アイランドって言うんだけれど。東京のように建物や地面がコンクリートで覆われた街では、木造の建物や地面が多い街よりも温度が高くなってしまうんだ。日中の強い日差しでコンクリートにたまった太陽の熱が街の中に残っているし、エアコンの室外機から外に出ていく人工の熱も加わって、街全体が暑くなってしまうんだ。特に風が弱い晴れた夜は、ヒートアイランドになりやすいんだ。」研一が答えた。
「でもお家では夏になっても夜にこんなに暑くならないわ。さっきお父さんが言ったように、木の家や地面が多いからなの。」弥生が尋ねた。
「その他にも、我が家の周りには温度を下げてくれるものがあるよ。水が張られた田んぼがあるし、家の近くを流れる大きな川があるだろう。田んぼや川の水が蒸発して気体になる時に周りから熱が奪われるため、周辺の温度が下がってしまうんだ。夜に窓を開けておくと、外から涼しい空気が部屋に入ってくるだろう。東京でも、夜になると東京湾から涼しい海風が吹いてくるけれど、東京湾を囲むように都心に建っている高い建物に遮られ、涼しい風が街の中まで入って来ないんだ。」
研一は答えた。
「昨日もそうだったけれど、今日も真夏日になりそうだわ。熱中症にならないように帽子をかぶって出掛けましょう。弥生、日焼け止めクリームをたっぷりと塗って出かけないと、肌が焼けてヒリヒリになってしまうわよ。」由紀子が弥生に言った。

 暑さ対策を済ませた3人は電車に乗って東京駅で京葉線に乗り換えて東京ディズニーランドのある舞浜駅で降りた。舞浜駅から入場口に向かって大きな人の流れができていた。チケット売り場では当日券を求めて大勢の人が長蛇の列を作って並んでいた。研一たちは、インターネットで購入した日付指定券を持っていたので、直接、入場ゲートに向かった。幾つもある入場ゲートも大混雑していた。研一たち家族のように夏休みを利用して地方から来園したと思われる家族連れもいる。
 東京ディズニーランドは千葉県の浦安市舞浜に建設され、1983年4月に開園した国内最大のテーマパークだ。アメリカ国外では初となるディズニーのテーマパークとして、開園当初から国内外の注目を集めた。開園した83年には来園者が500万人を超え、2年目には1000万人を超えた。当時、都内の大学に在籍していた研一も在学中に、何度か友人と訪れたことがあった。また由紀子と結婚してからも2回来園している。
 
 入場ゲートを抜けると、そこは日常の生活空間とは全く違うファンタジックな空間が広がっている。
「あ、ミッキーマウスだ。あそこにミニーマウスがいる。向こうにドナルドダッグもいるよ。」初めて東京ディズニーランドを訪れた弥生は、来園者に愛嬌よく振る舞っている人気キャラクターを見て興奮気味に言った。
「弥生、ミッキーと並んで立ってごらん。写真を撮ってあげるよ。」研一が弥生に言った。
「はいー、チーズ。」研一はスマホのレンズを二人に向けてシャッターを押した。
カシャ
「そうだ。年賀状用の写真も撮ろうか。」
研一は近くにいたスタッフの人にスマホを預けてシャッター押しを依頼した。家族3人の両脇にミッキーとミニーが立った構図の写真だ。
「はい、いいですか。チーズ。」スタッフの人がスマホを向けて言った。
カシャ
「このミッキーと一緒に撮った写真を学校に持って行って友達に自慢しちゃおうかな。」スマホに記録された画像を見ながら弥生は言った。
 研一たちは下調べをして、行きたいアトラクションをあらかじめ決めていた。ガイドマップを見ながら、目的のアトラクション会場に向かった。人気のアトラクションなのだろうか。入り口前には長い列ができていた。最後列のボードを持って立っていたスタッフの人に聞いたら、1時間ほどの待ち時間になるという話だった。炎天下での1時間待ちは辛い。ここは諦めて次のアトラクション会場に向かったがこちらも長い列ができていたので、並ぶのを諦めた。3か所目のアトラクション会場も同じように長蛇の列ができていた。行きたいと思って決めておいたアトラクションは後回しにして、空いているアトラクションから見て回ることにした。
 乗り物に乗って異次元の世界を体験したり、アドベンチャーが楽しめるようなアトラクションはどれも人気が高く、入口前には長い行列ができている。一方、見て楽しむようなアトラクションやキャラクターグッズを売っているショップは比較的空いている。日差しの強い昼間はそちらを優先することにした。夕方近くになって日差しが弱くなったので、どうしても行きたいアトラクションに絞って並ぶことにした。最初に来た時よりは行列が短くなっている。気温も下がってきたので、並んでも待っていてもそれほど辛くはない。しかし午後に入ると、今度は近郊に住む人たちが時間指定の割引チケットを使って入園してくるので、そのことも考えて行動しないといけない。研一たちの待っている当日券は午後10時まで使えるチケットであるが、歩き疲れた3人は退場ゲートを潜って舞浜駅に向かった。駅前のレストランで夕食を食べた後、三人はへとへとになって帰路についた。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「山田研一 ただ今 単身赴任中」(第9話)

2017年1月3日ニュース

 研一たちは地下鉄とJRを乗り継いで社宅のある北区に向かった。初めて来た東京でしかも人通りの多い街の中を歩き回って疲れが出たのだろうか、弥生は帰りの電車の中で居眠りを始めた。車を使ったドアツードアの移動が当たり前の地方と比べて公共交通機関を使った移動が主流の都会では、最寄りの駅やバス停まで歩かなくてはならない。体力のない幼い子どもやお年寄りにはちょっと辛いのかもしれない。
 三人はJR埼京線の十条駅で降りた。研一の社宅は駅から降りて10分程の所にある。社宅に帰る途中に商店街がある。研一はこの商店街で買物をした後、赤提灯で立ち飲みをして社宅に帰るパターンが多い。今日はこの商店街で夕食の食材を買って帰ることにした。今晩の夕食は由紀子が作ってくれる。
「お母さん、夕食の献立は決まった?」弥生が由紀子に尋ねた。
「そうね。今日のような蒸し暑い日はスパイシーなエスニック料理なんかどうかしら。食欲が落ちるこの時期にはぴったりの料理だわ。」
「お母さん。スパイシーなエスニック料理って、どんな料理。」
「香辛料が効いたさっぱりとした味の外国料理のことよ。」
「外国料理って、もしかしてイタリア料理のこと。」
「正解。どうして分かったの。」
「お母さんがイタリアに留学した頃に料理の勉強をしたことを聞いていたから、そうじゃないかと思ったの。」
「ミネストレーネといわしのマリネなんかどうかしら。」
「ミネストレーネって、トマトを使った野菜スープのことでしょう。」
「そうよ。トマトの他にタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、キャベツ、セロリ、ズッキーニ、さやいんげんなどの野菜とベーコンを煮込んで作る料理よ。御飯も兼ねてお米も入れてみるわ。」
「わーい。楽しみだわ。」トマト料理が大好きな弥生は大喜びだ。
「それとワインもね。イタリア料理にはワインが合うね。ワインの品揃えが豊富なお店がこの近くにあるので案内するよ。」研一が言った。
 スーパーで食材を買い揃え、酒屋で由紀子のお気に入りのワインを買った後、商店街を歩いていると、行列ができているお店があった。
「あそこのお惣菜屋さんはメンチカツやコロッケが美味しいって評判の店だよ。」研一は数軒先にある店を指して言った。
「弥生、味見(試食のこと)してみる。」由紀子が弥生に声を掛けた。
「うん。」弥生が答えた。
研一も由紀子の視線を気にしながら試食用のメンチカツを口に入れた。
「評判の店だけあって美味しいわ。スーパーのお惣菜と違って商店街のお店で売っているお惣菜には添加物は入っていないし、味もそんなに濃くないの。あの、このメンチカツを3個ください。」由紀子が店員に注文した。
 東京で単身赴任を始めて気づいたことだが、都会の商店街は地方の商店街と比べて活気がある。夕方近くになると大勢の買い物客で商店街は賑わう。研一は買い物客で賑わう商店街の様子を見ては少年時代を思い起こす。小学生の頃、自転車に乗って祖父と隣町の商店街に買い物に出掛けることがあった。大勢の買い物客で賑わった当時の商店街の面影は、今はもう見られなくなった。商店街はシャッター通り化して人通りもまばらで寂れている。一方、郊外には広い駐車場を備えた大型商業施設が進出し、その施設めがけて買い物客が集中している。電車、地下鉄、バスなどの公共交通機関が充実している都会と比べて人口の少ない地方では住民の足代わりになっているのが自家用車だ。通勤や買い物など、地方で暮らすには車がないと何かと不便だ。一家に数台の車を持っている家もある。研一の家にも車が二台ある。研一が通勤や家族で出かける時に使う車と由紀子が買い物などに使う車だ。
 社宅に帰ると由紀子は台所に立って夕食の支度を始めた。程なくミネストレーネといわしのマリネが出来上がった。それとお惣菜のメンチカツを加えて夕食が完成した。ワインのボトルを開けてグラスに注いだ。弥生にはオレンジジュースを注いだ。
「乾杯!」
「あなた、白い御飯の時は食事の最後に食べるけど、このミネストレーネに入っているお米は一緒に食べていいのよ。」由紀子が研一に言った。
 研一が家で食べる白い御飯は汁ものと一緒に最後に食べる決まりになっている。体内で糖分に分解される炭水化物を最初に食べると、血糖値が上昇するので、先に野菜や肉などのタンパク質を食べて、御飯は最後に食べることにしている。由紀子の監視下にある家ではこのルールは厳守されているが、研一が社宅で食べる時はこのルールは無視されている。味のない白い御飯だけを最後に口に入れても、満足な食感が得られないからだ。研一は社宅で食事をする時には、どんぶりに熱々の白い御飯を盛って、その上におかずを載せて一緒に食べている。もちろん由紀子には内緒にしている。
「今日は疲れたから早く寝よう。」
研一は由紀子と弥生に声を掛けた後、居間に川の字に布団を敷いて就寝した。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者