小説「廃屋の町」(第125回)
「買収した方からすれば、相手に飲食を提供した見返りに票をもらえるわけですし、買収された方からすれば、自分や家族の票をあげる見返りに、飲食の提供を受けるわけですし、お互いがそれぞれ便宜を受ける関係になってしまうからです。一方で、事件として警察に摘発されれば、お互いが罪に問われるといった不利益を被るという関係にもなります」米山が言った。
「一蓮托生の関係ってことか」甘木が呟いた。
「もう一つ井上事務所に取材に行って気づいたことがあったよ」髙橋が言った。
「何だい?気付いたことって?」風間が尋ねた。
「ホワイトボードのスケジュール表に、井上市長のミニ集会の日程がびっしりと書き込まれていたんだ。ミニ集会は、土日は事務所で平日は午後7時から町内会の集会所で行っているらしいだが、平日のミニ集会は一日5か所も入っている日もあったね」高橋が言った。
「ええ!一日に5か所もできるのかよ?井上市長は、日中公務があるから、平日は夜間にしか政治活動はできないけど、1か所で1時間は掛かるとして5時間にもなる。移動時間も含めればそれ以上の時間が掛かる。5か所もやれば翌日になってしまうよ。高齢な井上市長の体力を考えれば、無理なスケジュールだよ」風間が言った。
「ところがミニ集会に費やす時間は1か所当たり2,30分になっているんだ」高橋が言った。
「そんな短い時間で、井上市長の選挙公約、確か『六つの光』だったと思ったけど、それを説明できるの?全然時間が足りないよ」風間が言った。
「ミニ集会では、井上市長の選挙公約が載っているパンフレット『六つの光』を配った後、市長の挨拶があってそれで終わり。井上市長は次の会場に向かうというパターンみたいだね」高橋が言った。
「たったそれだけ?わざわざ井上市長の公約を聞きに集会所に集まったのに、市長の挨拶だけで終わりじゃ、有権者に失礼じゃないの?」久保田が言った。
「ミニ集会を開催する本当の目的は別のところにあるみたいだね」高橋が言った。
「何だい?別の目的って?」風間が尋ねた。
「飲み食いさせて票を集めようということさ」高橋が言った。
「それは、もしかして買収ってこと?」甘木が言った。
「ミニ集会の表向きの理由は井上市長の選挙公約の説明会になっているけど、本当の目的は、集会に集まった有権者に飲食を提供して投票をお願いすることみたいだね。ミニ集会は井上市長の後援会「将進会」が取り仕切っているようだが、「将進会」は町内会を単位にして網の目のように張り巡らされている。この前、井上事務所に取材で行ったら、別室にいる後援会の幹部連中が町内会の世話役に電話を掛けて、ミニ集会が終わった後の宴会の打ち合わせをしている話を、偶然に聞いてしまったんだ」
高橋が言った。
「ミニ集会に参加する人は井上市長の話を聞きたくて集まるんじゃなくて、タダで飲み食いができるからじゃないの?時間も夜だからね。集まるのは男性がほとんどだと思うけどね」風間が言った。
「タダかどうか分からないけど、参加者から会費を取っているとしても、僅かな金額だと思うけどね。一方、土日や祝日の昼間に井上事務所で行われる集会には女性が多いって聞いているよ。参加者には松花堂弁当や高級和菓子が付いているからね」高橋が言った。
「いずれのケースも公職選挙法違反の買収にあたります!」米山が語気を強めて言った。
「夜は酒で男性票を釣って、昼は弁当やお菓子で女性票を釣る。お金が幾らあっても足りないわ」
久保田が言った。
「金のかからない選挙にしようと、公職選挙法で選挙費用の上限額が定められていますが、選挙費用が上限額をオーバーしても、オーバーした分を隠してしまえばそれまでですよ。いずれにしても、買収は、候補者だけではなく有権者としてのモラル・自覚に関わる問題ですよ。選挙権は憲法が保障する基本的人権の一つです。この天賦の権利がお金で捻じ曲げられてしまうのは、民主主義の危機です。何とも嘆かわしいことです」米山が言った。
(作:橘 左京)