小説「廃屋の町」(第124回)
「飲み食いをさせる場所ってどこかしら?まさか、向かいにある居酒屋『寄り道』ってこと?」
久保田が言った。
「そうかも知れないね。作業服を着て来店すれば生ビールが半額になるって触れ込みだろう。店の壁には井上市長の選挙用のポスターが貼ってあって、建設会社の社員が友人を居酒屋に連れて行って飲み食いさせる。アルコールが回っていい気分になった友人に、井上市長のポスターを見せて投票を依頼する。充分考えられるシナリオだね」風間が言った。
「タダで飲み食いさせるってこと?」久保田が尋ねた。
「タダにすると相手が嫌がるので、少しだけ負担してもらうってことはあるかもね」高橋が言った。
「健ちゃんの話を聞いて思い出したけど、建設会社を経営している私の親戚の人が『寄り道』に行った時の話よ。スーツを着た若い人が作業服姿の人に『先輩、ごちそうさまでした』って言っているのを見たそうよ」久保田が言った。
「恵ちゃんの親戚の人が作業服を着て『寄り道』に行ったの?」高橋が言った。
「そうそう、生ビールが半額になるっていうから行ったんだって。そうしたら、店の人から、『お客さんは田沼市にお住いですか?』って聞かれて、『いいえ、違います』って答えたら、それきりだったそうよ。」
「恵ちゃんの親戚の人が田沼市に住んでいるって言えば、生ビールがタダになったかもしれないよ」
風間がにやにやしながら言った。
「分かっていれば、そう言ったかもね。それと店の中には井上市長のポスターが張ってあったそうよ」久保田が言った。
「やっぱりそうか。米山さん、居酒屋の中に候補者のポスターを張ることは違反にならなんですか?」
風間が尋ねた。
「居酒屋のように不特定多数の人が出入りする場所で、立候補予定者のポスターを掲示すれば、事前運動にあたりますね」遠山が答えた。
「事前運動?」風間が尋ねた。
「立候補の届出前に選挙運動を行うことです。選挙運動は立候補の届出を行った日から投票日の前日まで行われます。市長選挙の場合、選挙期間は7日間です」米山が答えた。
「この事務所には甘木君のポスターが張っているけど、それは大丈夫なの?」久保田が尋ねた。
「この事務所のように、特定の人しか出入りできない場所に掲示されているのであれば問題はありません。ただし、通行人に見せようとして通りに向けてポスターを張っていればば、アウトですが……」
米山が言った。
「違反した場合は罰則があるんですか?」風間が尋ねた。
「1年以下の禁固又は30万円以下の罰金です」米山が答えた。
「買収に比べれば、刑が軽いですね」甘木が言った。
「そうですね。それに、違反しても警察からの警告で終わってしまうことが多くて、警告を無視すれば別ですが、刑罰が科せられることはめったにないようです。さっきも言ったように、選挙犯罪の中で最も刑罰が重いのは買収です。警察の取り締まりも、当然厳しくなります。しかし、買収はなかなか表に出てきません。買収した者も買収された者もウインウインの関係になってしまうため、事件として発覚しにくいんです」米山が言った。
「ウインウインの関係って?」久保田が言った。
(作:橘 左京)