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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その4)

2015年6月12日トピックス

■なぜ財政破たんしたのか(後編)
 ロボット大科学館などの観光施設の建設に際しては、地元業者優先の随意契約が多く行われ、建設費も適正な価格に比べて相当高くついたケースもなど見られたほか、事業が観光客誘致よりも雇用確保に傾いたため、各施設が余剰人員を多く抱えていたことも観光関連施設の収支を悪化させる要因となった。また2002年3月、市はマウントレースイスキー場を26億円で買収することを決め、市債を発行し資金調達しようとしたが北海道庁は負担が重すぎるとして許可しなかった。そこで市は土地開発公社に買収させ、市が肩代わり返済する「ヤミ起債的行為」に手を染めた。

 産炭地域振興臨時措置法が2001年(平成13年)に失効したことなどで、財政状況がさらに悪化、その後はほぼ破綻状態にあった。一時借入金などの活用により表面上は財政黒字となる手法をとったため、負債が膨れ上がっていった。一時借入金残高は12金融機関から292億円、企業会計を含む地方債残高が187億円、公営企業と第三セクターへの債務・損失補償が120億円とされ、夕張市の標準財政規模(44億円)を大きく上回っていた。

 2006年(平成18年)6月20日に後藤健二元市長が定例市議会の冒頭で、財政再建団体の申請を総務省にする考えを表明した。市長の表明後、「空知産炭地域総合発展基金」から14億円の借り入れをしていることが明らかになるなど、違法起債(「ヤミ起債」:注)等の粉飾まがいの決算がここ何年も行われていた疑いがあり、北海道庁が調査したところ既に再建団体適用状態だったことが判明した。これを受け、後藤健二元市長は同年7月25日に2006年度中の財政再建団体を申請する方針を表明し、2007年(平成19年)年3月6日付けで「財政再建団体」(財政破たん)に指定された。なお2006年度決算における実質公債費比率は38.1%だった。これは全国でも長野県王滝村の42.2%に次ぐ数字であった。

(注)「ヤミ起債」について
 当時、自治体が借金(起債)をする場合は都道府県知事の許可が必要だったが、道内の旧産炭地域の6市町は限度額に近い金額の起債をしていたため、これ以上の起債はできなかった。そのため「空知産炭地域総合発展基金」など各種基金や、銀行・信用金庫など金融機関から借り入れて急場をしのいだ。こうした手法は本来、一時的に税収が不足したときや、会計制度上財政が逼迫しやすい会計年度末に少額・短期間採られることが多い。しかし6市町は本来の手法を逸脱し税収不足の補填や借金の返済のために借り換えを重ね債務は累積し、いわゆる自転車操業状態に陥った。また、4月1日から5月31日は前年度決算の出納整理期間だが、その期間を悪用して旧年度の会計に新年度の会計から貸して見かけ上黒字に見せかけるなどの違法な決算操作が行われていた。※次号に続く。
*出典:ウィキペディア フリー百科辞典
~「誰が返すのかこの借金!こんな街に住みたくないと言って若者は出ていく。こんな街には生まれたくないといって子どもの数は減っていく。」~(代表 天野 市栄)

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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その3)

2015年6月11日トピックス

■なぜ財政破たんしたのか(前編)
~中田鉄治元市長の失政(「炭鉱から観光へ」)と中田市政をチェックできなかった市議会議員の犯した大罪

 北炭夕張新炭鉱のガス突出事故による運営会社の倒産など石炭産業の衰退が顕著になりはじめた頃(昭和50年代半ば以降)に、夕張市政の最高責任者(市長)だった人が中田鉄治氏(故人)である。中田鉄治氏は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり夕張市長を務めた。中田元市長は「夕張は石炭政策転換の犠牲になったのだから、国が振興策に責任を持つべきだ」などと言って補助金を積極的に引き出すなど、国が用意した閉山対策資金を活用して様々な事業を展開した。その際には「自治体は倒産しない。借金には国の保証がある」などと言ったともされている。夕張市の財政破たんを招いた中田失政の実態を明らかにする。

・1990年(平成2年)、三菱南大夕張炭鉱が閉山し夕張から炭鉱がなくなり炭鉱会社が設置した鉱員向けのインフラを買収した。夕張炭鉱病院の市立病院移管(40億円の財政負担)、炭鉱住宅や上下水道設備の買収(151億円の財政負担)、鉱山税61億円の未払いなどで「炭鉱閉山処理対策費」は総額583億円に達した。(※市が将来の人口動向を考慮しないで、炭鉱労働者向けのインフラ設備(病院、住宅、上下水道)をそのまま購入したは暴挙だ。炭鉱会社が職員向けのインフラ設備を整備したことからも分かるように、炭鉱労働者は市外からの出稼ぎ労働者が多かったにちがいない。炭鉱の縮小・閉山で職を失った炭鉱労働者は、炭鉱以外に雇用の受け皿がない夕張市から離れていく(市外への人口流出)であろうことは容易に推測できたはずである。こうして人口の最多期に建てられたインフラ設備は人口減少とともに遊休化し、老朽化とともに維持費や更新費用もかさんでくる。)

・1981年(昭和56年)に財政再建団体への転落目前まで財政が悪化して自治省(現・総務省)も緊縮財政への転換を強く指導していたにもかか わらず、1982年(昭和57年)12月に市議会議員の報酬を引き上げ、1983年(昭和58年)度に前年度比17%増の積極予算を組むなど逆に一段と積極財政を推し進めた。

・第三セクターや公営企業に金融機関から借り入れさせて市が債務保証することで市債発行の代わりとするような「ヤミ起債的行為」といえる 公式の会計外の資金調達手法を活用⇒2001年(平成13年)には既に130億円台の実質的な赤字となる。

・「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして観光事業を推進したが、逆に負債が膨張する要因ともなった。夕張の主要産業だった炭鉱の閉山後、「分不相応の投資をしなければ、夕張市は再生しない」とし、観光振興を目当てに、下記のようなテーマパーク「石炭の歴史村」など観光施設の建設や、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に代表されるイベントを連発した。
    1980年(昭和55年) 夕張市石炭博物館             約14億8300万円
    1983年(昭和58年) 石炭の歴史村(遊園地)          約55億円
    1985年(昭和60年) めろん城                 約6億5000万円
    1988年(昭和63年) ロボット大科学館             約8億5000万円
    2002年(平成14年) マウントレースイスキーリゾートの買収   約26億円
※金額は投資額

・しかし、これらの観光振興政策は粗雑な計画で、かつての石炭ほどの利益をもたらすはずもなく、人口流出と併せてかえって夕張の財政を致 命的に圧迫させるだけの結果に終わった。中田鉄治氏(故人)は2003年4月に夕張市長を退任し同年9月10日に逝去した。中田氏の後を継いだ市職員出身の後藤健二元市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市の財政が破綻したのは、それから3年後の2006年(平成18年)6月20日ことだった。※次号に続く。
  *出典:ウィキペディア フリー百科辞典

(あとがき)
 私は県職員時代の1995年(平成7年)から96年(平成8年)の2年間、自治省(現総務省)の外郭団体である地域総合整備財団(「ふるさと財団」)に在籍していた。平成7年に財団用務で北海道に出張に行った際に、道内のどこの市町村にあった施設か覚えていないが、廃坑になった露天掘りの炭鉱跡(形状はすり鉢状)に建つ「赤毛のアン」の家が思い出される。平日ということもあり人影はなく、なぜ「赤毛のアン」なのか分からなかった。話は変わるが夕張市の財政を破たんさせた張本人である元夕張市長「中田鉄治」氏の名字の順番を替えると「田中」になる。私が住んでいる街の市長の名字だ。
(代表 天野 市栄)

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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その2)

2015年6月10日トピックス

■炭鉱で栄えた街、夕張市
 夕張市は明治初期から炭鉱の街として栄えた街だ。1888(明治21)年に大鉱脈の発見に伴い多数の炭鉱が拓かれ、国内有数の産炭地として活況を呈した。1960(昭和35)年には夕張鉱業所(北炭)・平和鉱業所(北炭)・大夕張鉱業所(三菱)の三大鉱業所を中心に関連産業も発達し、この年に市の人口も116,908人と最多となった。

 しかし、昭和30年代後半以降エネルギー革命が進行、海外炭との競争、相次ぐ事故、国の石炭政策の後退に直面。その後の鉄鋼不況により需要は伸びず、1973(昭和48)年の大夕張鉱業所の閉鎖を機に閉山が相次ぎ、さらに1981(昭和56)年には市内屈指の規模を持つ北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生。運営会社が倒産するなど石炭産業の衰退に拍車がかかった。安価・良質な海外資源へのなだれ現象、そして政府の合理化政策の前に各炭鉱の経営はジリ貧となり、企業は国内の炭鉱から次々と撤退。国内第一の規模・炭質を誇った夕張もその例外ではなかった。1990(平成2)年に最後まで残っていた三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が閉山した。

 元々炭鉱により開かれた夕張市は、大規模な農業にも向かない地域だった上に石炭産業以外の産業基盤がなかったことから、働き手の若者が雇用を求めて都市へ流出し人口が激減した。街には高齢者が残る結果となり、急速に少子高齢化が進んだ。最盛期からの夕張市の人口減少率は全国の自治体でもトップクラスである。(2015(平成27)年5月時点の人口は9,295人。55年間で人口がなんと10分の1以下になった!)現在は気温の寒暖差を生かしたメロン栽培(夕張メロン)、花畑牧場、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭など観光の町として町おこしを進めているが厳しい状況にある。
※次号に続く。  *出典:ウィキペディア フリー百科辞典
(代表 天野 市栄)

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育メン政治家の育児レポート(第58話)~チョウチョウが怖い???

2015年6月9日ニュース

 今日の天気は梅雨入り間近かなと思わせるような曇り空です。気象庁の発表によれば、関東甲信地方が今月8日に梅雨入りしたそうです。私が住む北陸地方の梅雨入りは昨年は6月5日ごろでした。平年では6月12日ごろだそうです。今日の天気図を見ると梅雨前線が九州北部から四国・近畿地方に張り出しています。この前線が北陸地方まで北上すればいよいよ梅雨入りでしょうか。

 さて、この時期になると、家の外や中でいろいろな虫が生まれ活発に活動します。蚊、ハエ、アリ、クモなど招かれざる虫(害虫)が家の中に入ってきます。虫が苦手な妻の影響を受けたのでしょうか。ウサギも虫を嫌がります。しかし、チョウチョウやハチ(ミツバチ)は、人間にとっては有用な益虫です。(ただしチョウチョウが青虫の頃は野菜(葉物類)を食い荒らす害虫ですが…)チョウチョウやミツバチが花の蜜や花粉を集める過程で受粉が行われ実ができます。今朝で食べたイチゴ(妻の実家で収穫されたイチゴです。)も虫たちのおかげで出来た果実なのですが、何度も説明してもウサギに分かってもらえません。

 実はウサギのチョウチョウ嫌いの理由の一つと思われる出来事がありました。昨年、YouTubeにある「しまじろう」のアニメをウサギに見せたことがありました。しまじろうのお友達に「みみりん」という女の子がいます。「みみりん」はしまじろう達とお花畑に出掛けますが、お花畑でチョウチョウが飛んでいるのを見て、「チョウチョウ、大嫌い。」と言って逃げます。みみりんはその夜、夢を見ます。花の妖精が出てきてチョウチョウやミツバチが花にとってはとても大切なお友達だとみみりんに教えます。翌朝みみりんは昨夜見た夢を思い出し、大嫌いなチョウチョウが大好きになるというストーリですが、チョウチョウがウサギのお友達になるまでにはまだ時間がかかりそうです。
(あとがき)
 先月上旬頃に植えたパプリカ(赤・黄)が実を付けている。最初から赤色や黄色で実ができるのかと思っていたがピーマンと同じ緑色である(写真右)。新たな発見だ。成長の過程で色が付いてくるのかもしれない。パプリカの変身(変化)が楽しみだ。
(代表 天野 市栄)

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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その1)

2015年6月8日トピックス

■はじめに 
 高級メロンの代名詞になっている赤い果肉のマスクメロン「夕張メロン」の初競りが、先月22日に札幌市中央卸売市場で行われ、2玉150万円の高値で落札された。競りでは新潟県内のスーパーが札幌市内の仲卸会社を経由して落札した。新潟県内のスーパーが落札したこともあって、地元地方紙にも大きく取り上げられた。この「夕張メロンは」ご存知のとおり北海道夕張市が生産地である。また夕張市は高倉健(故人)主演の「幸福の黄色いハンカチ」の舞台になった街でもあり映画ファンならご存知の地名である。

 その夕張市の財政破たんが起きたのが2007(平成19)年である。2006(平成18)年には深刻な財政難のあおりを受け、2007(平成19)年3月6日付けで地方財政再建促進特別措置法(現在は廃止)に基づく「財政再建団体」に指定され事実上財政破たんした。夕張市の財政破たんが契機となって「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」が新たに制定された。夕張市はこの財政健全化法が完全施行された2009(平成219年4月1日からは「財政再生団体」となり、「財政再生計画」を策定して財政再建に取り組んでいる。この財政再生計画が終了するのが2027(平成39)年3月と、実に18年間という長い期間だ。財政健全化法の施行後、「財政再生団体」に指定されたのは全国で夕張市だけである。

 夕張市の財政の窮状をなんとかしようと奮闘しているのが青年市長の鈴木直道氏(現在34歳)だ。鈴木市長は東京都庁職員出身で石原東京都政時代に夕張市に2度派遣された異色の経歴を持つ。鈴木直道氏は2010年11月30日に東京都を退職し、翌年4月に実施された夕張市長選挙で新人3人の対決を制して初当選した。現在2期目。

 夕張市のホームページを見ると、トップページに「夕張市の借金時計」というバナーがある。このバナーをクリックすると、借金の種類と会計別に借金の残高が1秒毎に示されている。本日(6月8日)12時時点の借金は、再生振替特例債(財政再生団体に認められる赤字地方債)が275億9928万円、再生振替特例債を含む一般会計の借金が387億13万円、全会計(一般会計+特別会計+企業会計)の借金は408億614万円である。今回からシリーズで財政破たんした北海道夕張市の「現在・過去・未来」を私見を交えてお伝えしたい。※次号に続く。

(あとがき)
 今年4月に行われた夕張市長選挙は鈴木直道氏が無投票で再選された。財政再建の終了まであと12年もかかる難題に果敢に取り組もうという意欲ある人材(特に若者)が現職以外にいなかったのではないかと考えている。それを裏付ける資料がある。国立社会保障・人口問題研究所が2013(平成25)年3月27日に公表した市区町村別の推計人口である。夕張市の人口(今と将来)みると、2015年の推計人口が9,257人。25年後の2040年の推計人口が3,883人。減少率が58.1%。働いている世代(人口▼65.3%)とこれから働く世代(人口▼67.3%)の人口減少が顕著だ。
~「誰が返すのかこの借金!こんな街に住みたくないと言って若者は出ていく。こんな街には生まれたくないといって子どもの数は減っていく。」~
(代表 天野 市栄)

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育メン政治家の育児レポート(第57話)~ウサギとメダカの飼育を始めました!

2015年6月1日ニュース

 これまでウサギと何度となく行っているマリンピア日本海(水族館)ですが、我が家でも水に住む生き物を観察しようと、先月からミニ水族館を開設しました。(写真左)ホームセンターで小さな水槽とろ過機などの機材を買ってきて、飼育用のメダカと小さな巻貝、水草、敷き砂利は、趣味でメダカと金魚を飼育している弟から提供してもらいました。メダカは、いわゆる「カラーメダカ」と呼ばれている突然変異種で、観賞用に改良されたメダカです。名前は分かりませんが巻貝は水槽の壁に付着した汚れを食べてくれるお掃除屋さんです。朝晩の給餌はウサギとパパの担当です。ところが、メダカを飼い始めて1週間くらい経った朝に水槽の中を覗いたら、オレンジ色のメダカ一匹が水槽の底に沈んでいました。
 「ウサギ、このメダカ死んじゃったよ。」(パパ)
 「どうして?」(ウサギ)
 「分かんないよ。お墓を作ってやろう。」(パパ)

 生き物を飼えば、どうしても「死」と向き合わなければなりません。ウサギが「死」について考える機会がこんなに早く来るとは思いませんでしたが、今のウサギにはまだ「死」についての理解は難しいようです。死んだメダカの遺骸は庭の木の根元に埋めてお墓(十字架)を建てました。「アーメン」

(あとがき)
 童謡「めだかの学校」にも歌われたように、かつて日本の小川にはごく普通にメダカの群れが見られた。そのメダカも、今や絶滅危惧種としてレッドデータブックに登録されている。のどかな田園風景を見て育った私の少年期が思い出される。子どもの頃、よく近くの小川(農業水路)に魚とりをして遊んだ。小川に半円形の網(枠は竹)を沈め、「カタカタ棒」と呼ばれる竹の棒に中心部をくり抜いた円柱状の木材を差し込んで、水の中で「カタカタ」と音を鳴らして、川上から川下に魚を追い込んでいく。川下に設置した網を上げるとドジョウやフナ、ザリガニ、メダカなどの小魚が入っていた。

 当時の農業水路は田んぼとつながっていて、田植えのシーズンになると水路から田んぼに水が入りメダカも一緒に入ってくる。日中は田んぼの水温はかなり上昇するがメダカは平気だ。田んぼで産卵し成長したメダカは、刈り取りシーズンになり田んぼの水が水路に戻るのと一緒に戻る。当時の農業水路は土水路で、水草などの水生植物が沢山繁茂していたし、魚もたくさんいた。しかし今は違う。用水路と排水路が分離され、コンクリート製や矢板といわれる鉄製の護岸(排水路)に変わった。用水路は三面(横二面と底)がコンクリートで覆われ魚の住める環境ではなくなった。また排水路も深く掘られ、田んぼの水を落とすだけとなり田んぼに水が戻ることはない。かろうじて当時の農業水路(土水路)が残っているは中山間地の田んぼである。メダカが絶滅危惧種になるのは無理もない。
(代表 天野 市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者