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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その3)

2015年6月11日トピックス

■なぜ財政破たんしたのか(前編)
~中田鉄治元市長の失政(「炭鉱から観光へ」)と中田市政をチェックできなかった市議会議員の犯した大罪

 北炭夕張新炭鉱のガス突出事故による運営会社の倒産など石炭産業の衰退が顕著になりはじめた頃(昭和50年代半ば以降)に、夕張市政の最高責任者(市長)だった人が中田鉄治氏(故人)である。中田鉄治氏は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり夕張市長を務めた。中田元市長は「夕張は石炭政策転換の犠牲になったのだから、国が振興策に責任を持つべきだ」などと言って補助金を積極的に引き出すなど、国が用意した閉山対策資金を活用して様々な事業を展開した。その際には「自治体は倒産しない。借金には国の保証がある」などと言ったともされている。夕張市の財政破たんを招いた中田失政の実態を明らかにする。

・1990年(平成2年)、三菱南大夕張炭鉱が閉山し夕張から炭鉱がなくなり炭鉱会社が設置した鉱員向けのインフラを買収した。夕張炭鉱病院の市立病院移管(40億円の財政負担)、炭鉱住宅や上下水道設備の買収(151億円の財政負担)、鉱山税61億円の未払いなどで「炭鉱閉山処理対策費」は総額583億円に達した。(※市が将来の人口動向を考慮しないで、炭鉱労働者向けのインフラ設備(病院、住宅、上下水道)をそのまま購入したは暴挙だ。炭鉱会社が職員向けのインフラ設備を整備したことからも分かるように、炭鉱労働者は市外からの出稼ぎ労働者が多かったにちがいない。炭鉱の縮小・閉山で職を失った炭鉱労働者は、炭鉱以外に雇用の受け皿がない夕張市から離れていく(市外への人口流出)であろうことは容易に推測できたはずである。こうして人口の最多期に建てられたインフラ設備は人口減少とともに遊休化し、老朽化とともに維持費や更新費用もかさんでくる。)

・1981年(昭和56年)に財政再建団体への転落目前まで財政が悪化して自治省(現・総務省)も緊縮財政への転換を強く指導していたにもかか わらず、1982年(昭和57年)12月に市議会議員の報酬を引き上げ、1983年(昭和58年)度に前年度比17%増の積極予算を組むなど逆に一段と積極財政を推し進めた。

・第三セクターや公営企業に金融機関から借り入れさせて市が債務保証することで市債発行の代わりとするような「ヤミ起債的行為」といえる 公式の会計外の資金調達手法を活用⇒2001年(平成13年)には既に130億円台の実質的な赤字となる。

・「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして観光事業を推進したが、逆に負債が膨張する要因ともなった。夕張の主要産業だった炭鉱の閉山後、「分不相応の投資をしなければ、夕張市は再生しない」とし、観光振興を目当てに、下記のようなテーマパーク「石炭の歴史村」など観光施設の建設や、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に代表されるイベントを連発した。
    1980年(昭和55年) 夕張市石炭博物館             約14億8300万円
    1983年(昭和58年) 石炭の歴史村(遊園地)          約55億円
    1985年(昭和60年) めろん城                 約6億5000万円
    1988年(昭和63年) ロボット大科学館             約8億5000万円
    2002年(平成14年) マウントレースイスキーリゾートの買収   約26億円
※金額は投資額

・しかし、これらの観光振興政策は粗雑な計画で、かつての石炭ほどの利益をもたらすはずもなく、人口流出と併せてかえって夕張の財政を致 命的に圧迫させるだけの結果に終わった。中田鉄治氏(故人)は2003年4月に夕張市長を退任し同年9月10日に逝去した。中田氏の後を継いだ市職員出身の後藤健二元市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市の財政が破綻したのは、それから3年後の2006年(平成18年)6月20日ことだった。※次号に続く。
  *出典:ウィキペディア フリー百科辞典

(あとがき)
 私は県職員時代の1995年(平成7年)から96年(平成8年)の2年間、自治省(現総務省)の外郭団体である地域総合整備財団(「ふるさと財団」)に在籍していた。平成7年に財団用務で北海道に出張に行った際に、道内のどこの市町村にあった施設か覚えていないが、廃坑になった露天掘りの炭鉱跡(形状はすり鉢状)に建つ「赤毛のアン」の家が思い出される。平日ということもあり人影はなく、なぜ「赤毛のアン」なのか分からなかった。話は変わるが夕張市の財政を破たんさせた張本人である元夕張市長「中田鉄治」氏の名字の順番を替えると「田中」になる。私が住んでいる街の市長の名字だ。
(代表 天野 市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者