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財政破たんした北海道夕張市の現在・過去・未来を考える(その2)

2015年6月10日トピックス

■炭鉱で栄えた街、夕張市
 夕張市は明治初期から炭鉱の街として栄えた街だ。1888(明治21)年に大鉱脈の発見に伴い多数の炭鉱が拓かれ、国内有数の産炭地として活況を呈した。1960(昭和35)年には夕張鉱業所(北炭)・平和鉱業所(北炭)・大夕張鉱業所(三菱)の三大鉱業所を中心に関連産業も発達し、この年に市の人口も116,908人と最多となった。

 しかし、昭和30年代後半以降エネルギー革命が進行、海外炭との競争、相次ぐ事故、国の石炭政策の後退に直面。その後の鉄鋼不況により需要は伸びず、1973(昭和48)年の大夕張鉱業所の閉鎖を機に閉山が相次ぎ、さらに1981(昭和56)年には市内屈指の規模を持つ北炭夕張新炭鉱でガス突出事故が発生。運営会社が倒産するなど石炭産業の衰退に拍車がかかった。安価・良質な海外資源へのなだれ現象、そして政府の合理化政策の前に各炭鉱の経営はジリ貧となり、企業は国内の炭鉱から次々と撤退。国内第一の規模・炭質を誇った夕張もその例外ではなかった。1990(平成2)年に最後まで残っていた三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が閉山した。

 元々炭鉱により開かれた夕張市は、大規模な農業にも向かない地域だった上に石炭産業以外の産業基盤がなかったことから、働き手の若者が雇用を求めて都市へ流出し人口が激減した。街には高齢者が残る結果となり、急速に少子高齢化が進んだ。最盛期からの夕張市の人口減少率は全国の自治体でもトップクラスである。(2015(平成27)年5月時点の人口は9,295人。55年間で人口がなんと10分の1以下になった!)現在は気温の寒暖差を生かしたメロン栽培(夕張メロン)、花畑牧場、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭など観光の町として町おこしを進めているが厳しい状況にある。
※次号に続く。  *出典:ウィキペディア フリー百科辞典
(代表 天野 市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者