エッセイ「ふるさとの匂い」(作:橘 左京)
兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川…
唱歌「ふるさと」を聴くたびに、今はない私の「ふるさと」が時空を超えて鮮明に蘇る。
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【編集部からのお知らせ】
エッセイ「ふるさとの匂い」はライブラリー⇒文芸にアップされました。
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馬場島から望む早月尾根にはガスがかかっていて1500mくらいまでしか見えない。もちろん、剣岳山頂や小窓尾根も見えなかった。天気は曇りから小雪まじりに変わった。気温は1度℃と低い。
10時10分、小雪が降る中、二人は松尾平に向けて出発した。11時20分、松尾平(標高957m)に到着した。積雪は1.5mほどある。小休止の後、早月尾根に向けて雪の中を歩いた。先発で入山した二団体が残したトレースを歩くが、途中からトレースが雪に埋もれていたので登山靴に輪かんじきを付けた。
12時20分、早月尾根(標高1080m)に到達し休憩をとった。辺りはガスで覆われ視界がほとんどきかない。気温は氷点下になった。北陸の特有の湿雪から、さらさらした乾いた雪になった。標高が上がるにつれてガスも次第に濃くなり、西風も吹いてきた。14時30分、標高1600m地点に到達。平らな場所を見つけそこで幕営した。
二日目。3時に起床しテントを畳んで6時20分に幕営地を出発した。外は晴れていたがまだ暗い。歩いていくうちに、だんだんと辺りが明るくなってきた。少し登ると展望が開け、立山川の向こうに大日岳が見えた。天気は晴れ。下は雲海に覆われ、雲海の向こうに猫又山や赤谷山が見える。
8時10分、急坂を登りきって三角点峰(標高1920m)に到達した。ここからは、山頂と小窓尾根のギザギザした稜線がよく見える。標高2050m付近にある池が二つ連なったところは立山川寄りの稜線部を歩いた。途中、昨日登頂を終えて下山した城東大学の学生四人とすれ違った。話を聞いたところ、山頂付近はガスがかかって視界は効かなかったという。
二人は2224m峰に到達した。すぐ下の鞍部に早月小屋が見えた。11時20分、早月小屋に到着。先に到着した広陵大学のテントが一張りあった。野上と甘木は城東大学がテントを設営したと思われる場所を見つけ、シャベルで雪を払い除けた後、テントを張った。
まだ時間があったので、天気の良い今日中に明日の登攀ルートを下見することにした。早月小屋から先に続く早月尾根を、雲海を背にして登った。12時10分、2470m峰に登ったところで東の方角を向くと剱岳山頂が正面に見え、難攻不落の砦のようだった。よく見るとシシ頭を下って降りる3人の人影が見えた。どうやら広陵大学の学生のようだ。2470m峰から剣岳を眺めながら2550m地点まで登ってみることにした。急登を登り終え2550m地点に到達した。稜線はこの先も続いている。明日の登攀ルートを確認した二人は、登頂を終えて下ってきた広陵大学の学生三人と合流し早月小屋に戻った。
三日目、午前零時を過ぎたことから風が吹き始めて次第に強くなった。7時30分に起床、強風でテントがガタガタと揺れている。昨日の天気とは打って変わって吹雪になった。昨日登頂を終えた広陵大学のテントは撤収されていた。どうやら下山の途に就いたらしい。
甘木と野上は予定していた今日の剣岳登頂は諦めた。吹雪が吹き荒れるなか、仮眠したり停滞用に用意した汁粉を食べたりしながら、終日、テントの中で過ごした。一日で1mほどの雪が積もり、早月小屋のトイレ前は埋まりそうになっていた。
(作:橘 左京)
四日目、3時に起床。二人は6時20分に早月小屋を出発した。嵐も止んで晴れの天気になった。2470m峰を通過した辺りから雪面は凍っていた。急いでアイゼンを装着し先を急いだ。一昨日、下見で登った2550m付近までは簡単に登ることができたが、その先は、岩場を乗り越えていった方がいいのか、トラバースした方がいいのか、ルート選択に迷うところが所々にあった。その年の積雪量によってルートの選択も変わってくる。
2614m地点を通過した後、池ノ谷側をトラバースしていくとのっぺりした斜面になった。淡雪に覆われた斜面のトラバースは雪崩を起こす危険があることから稜線沿いのルートを選んだ。
二人は雪の多い稜線沿いを直線に道を選んで登攀した。2800m付近の池ノ谷側に枝尾根が伸びているところは斜面を直登した。2800m付近を過ぎてシシ頭の登りに差し掛かった。右手からシシ頭頂上に登り、池ノ谷側を懸垂下降しながらトラバースし、シシ頭東の鞍部に出た。あとは本峰への登りを残すだけだ。
強い西風を受けながらルンゼに取りつき直登した。早月尾根稜線に出た後、右斜め上に鎖に沿ってトラバースし、最後のルンゼの登りに差し掛かった。風を遮るものがない稜線を強風が吹きすさぶ。
ザイルに繋がれた野上と甘木はピッケルを雪面に打ち込み、山頂を目指して登攀を続けた。山頂を目前にした最後の岩場に辿りついた所で、突風が二人を襲った。後ろにいた甘木の体がバランスを崩して凍結した雪面を滑り落ちていった。
甘木の手からピッケルが弾け飛んだ。手首に巻いてあるピッケルのバンドが切れてしまったのだ。野上は自分のピッケルを雪面に深く打ち付け、右手は近くの露岩を掴んで、宙に浮いた甘木の体を必死になって支えた。
「甘木!大丈夫か?」
野上はザイルで繋がっている甘木に向かって大声で叫んだ。振り子のように宙に浮いた状態になっている甘木は両手を伸ばして雪面から出た露岩を掴もうとするが強風の中、手が届かない。登山靴に装着されたアイゼンも凍った雪面を捉えることができなかった。
稜線には二人以外に登山者の姿はない。甘木の体の重力がザイルで繋がれた野上の腰をじりじりと締め付ける。ピッケルと露岩を掴んだ両手が痺れてきた。今、手を離せば、二人とも200メートルほど下にある谷底に滑落する。甘木が野上に向かって言った。
「野上、このままでは二人とも助からない。俺の人生をお前に捧げる。俺に代わって生きてくれ!野上、さようなら!」
「甘木!やめろ!」
甘木はポケットから取り出した登山ナイフでザイルを切った。野上の視線は、勢いよく雪面を転げ落ちていく甘木の姿を追った。野上の視界から離れて徐々に小さくなっていく甘木の体は雪面から顔を出した鋭角な露頭に激突して止まった。
「甘木!甘木!」
野上は甘木に向かって大声で叫んだ。姿勢を戻した野上はすぐさま、雪面途中の岩場に止まった甘木の体めがけて、ゆっくりと斜面を下り降りた。30分ほどかけて甘木の体が引っかかっている岩場にたどり着いた。甘木の額から血が流れ登山帽は赤く染まっていた。どうやら甘木は岩頭に頭をぶつけたようだ。
「甘木、大丈夫か!」
野上は甘木の体を揺すって声を掛けてみたが反応はない。甘木の口元に耳を当てると、既に息が絶えていた。野上は無線機を使って麓の富山県警山岳救助隊に遭難救助の要請をした。程なく富山県警のヘリが現場に到着して、遭難者の収容が行われた。
(作:橘 左京)
【地域政党日本新生イメージキャラクターウィズ」君】
先月29日、私が愛読する地元紙朝刊の社会面に、大きな活字で「児童買春容疑で逮捕 加茂市職員略式起訴」という記事が掲載されていた。記事によれば、児童買春・ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕、送検されていた加茂市職員が同罪で略式起訴され50万円の略式命令を受けたが、加茂市は懲戒処分しない方針という。地元紙の取材を受けた小池清彦市長は「正式な裁判をしていないので、市として処分できない」とコメントしたという。
略式起訴・略式命令は、簡易な方法による刑事裁判の公判前手続きだ。略式命令で、被疑者に対して百万円以下の罰金や科料を科すことができる。略式命令は、正式裁判の請求期間(14日以内)が経過すれば確定判決と同じ効力を生ずる。略式命令を受けた者や検察官は、その告知を受けた日から14日以内に公判請求、すなわち正式な裁判手続きに移行することができるが、事件の内容が複雑で書面審理だけでは真相究明が難しい場合や罰金以外の刑が相当と裁判所が判断した場合に限られる。
確かに、小池市長が言うように正式な裁判を受けたものでないが、罰金刑という刑罰が科せられたことは事実だ。そして、この職員の非違行為が新聞報道されたことによって、公務員の信用を失墜させ、公務への信頼性を損なたことも事実だ。不問に付すというわけにはいかないだろう。
人事院が発した「懲戒処分の指針について」(平成12年3月31日、人事院事務総長発)の通知によれば、「第2標準例」「3公務外非行関係」「(12)淫行」 で、「18歳未満の者に対して、金品その他財産上の利益を対償として供与し、又は供与することを約束して淫行をした職員は、免職又は停職とする」とある。
新聞記事には「18未満と知りながら、現金を渡して新潟市内のホテルでみだらな行為をしたとされる」とある。「みだらな行為」とは「淫行」のことだ。人事院の処分指針に従えば、この職員が行ったことは免職か停職になるべき非違だ。有るのか無いのか分からないが、加茂市の懲戒処分指針を見てみたい!
知人にこの話をしたら、私が住んでいる阿賀野市にも似たような事例があったという。交通死亡事故を起こした市の職員が懲戒処分を受けることなく失職したという。平成26年9月24日に、阿賀野市役所が報道機関向けに発表した資料によれば、
同年1月5日に死亡交通事故を起こした職員が、自動車運転過失致死で禁固2年執行猶予4年の判決が確定したことにより、同年9月24日に失職したという。新潟県警が公表した平成26年の交通死亡事故一覧表によれば、事故は1月5日(日)午後5時に阿賀野市内で発生した。事故の概要として「40歳男性運転の軽乗用車と、道路横断中の75歳女性の歩行者が衝突」とある。市が発表した職員の死亡交通事故は、県警が公表したこの事故を指していると考えられる。
阿賀野市の懲戒処分指針は公開されていないが、人事院の処分指針によれば、「第2標準例」「4飲酒運転・交通事故・交通法規違反関係」「(2)飲酒運転以外での交通事故(人身事故を伴うもの) ア人を死亡させ、又は重篤な傷害を負わせた職員は、免職、停職又は減給とする。この場合において措置義務違反をした職員は、免職又は停職とする。 」とあるが、阿賀野市では、死亡交通事故を起こしたこの職員に対して懲戒処分は行っていないようだ。死亡交通事故を起こした市職員は、禁固刑が確定したことにより地方公務員法第16条に定める欠格条項に該当することとなり、失職した。
*参考
地方公務員法第16条(欠格条項)
次の各号の一に該当する者は、条例で定める場合を除くほか、職員となり、又は競争試験若しくは選考を受けることができない。
一 (略)
二 禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又はその執行を受けることがなくなるまでの者
三(略)四(略) 五(略)
この規定によれば、事故を起こした職員は、4年の執行猶予が終われば、市職員に復職できると解釈できるが……。また、失職に伴い、退職金が支払われた思われるが、この職員に対する懲戒処分が行われていないことを考えると、自己都合による退職扱いとなり、満額支給になったのではないか?通常、懲戒処分を受けた者が退職した場合は、退職金は減額支給となる。もちろん懲戒免職の場合は退職金は支給されない。市はこの件ついて、説明責任を果たすべきではないか。
(あとがき)
森友学園に対する国有地の不当廉売に続き、今度は加計学園の獣医学部新設が世間の耳目を集めている。関係省庁の情報漏えい、行政文書の流出に官邸は神経を尖らせている。事実がマスコミによって伝えられるたびに、国会答弁で首相や関係閣僚・省庁の幹部職員は「印象操作だ、怪文書だ、知らない、言っていない、」とその場しのぎの言葉でお茶を濁し、真相究明を求める国民の目を欺こうとしている。
マスコミに内情を明らかにした前文科省事務次官に対しては、政権寄りのマスコミを使った個人攻撃まで行っている。また、現職に対しては公務員の守秘義務違反や内閣府人事局が掌握する省庁幹部職員の人事権をちらつかせて、これ以上、内部情報が外に漏れないよう予防線を張っている。
国会では、政府与党が共謀罪新設法案を会期内に成立させようと躍起になっている。法案成立のために会期を延長すれば、今度は加計学園の問題に引きずられる。囚人のジレンマか?いっそのこと、共謀罪の適用範囲に政府機関、特に官邸を入れたらどうだろうか?
折しも米国では、トランプ大統領から、トランプ陣営とロシアの関係を巡る捜査を打ち切るよう求められ解任されたコミー前連邦捜査局(FBI)長官が下院監視・政府改革委員会の公聴会で証言することになった。どんな証言が出てくことやら。
(代表 天野 市栄)
12月24日の聖夜。クリスマスツリーで装飾された街の中を若い男女が行き交っている。大きなザックを背負った甘木と野上は地下鉄銀座線の上野駅に降りて、国鉄の上野駅に向かった、地下通路には路上生活者が段ボール箱で組み立てた小屋があちこちに建っている。ニット帽を被った作業着姿の50代くらいの男が野上に近づいてきた。男はあごひげと口ひげをたくわえている。白髪まじりの髪は肩まで伸びている。
「治夫!お前は野上治夫だろ?お父さんのことを覚えているだろう?お父さんの昭一だよ。治夫、家族を捨てた私を恨んでいるんだろう?本当に申し訳なかった。私の話を聞いてくれないか?」
懇願するようなそぶりで、男は野上の腕をつかんだ。
「おじさん、人違いですよ。私は野上治夫なんかじゃありませんよ!急いでいるので、すみません」
野上は男の手を振り切って先を急いだ。
「野上、誰だい?今のおじさんは。確か、お父さんは亡くなったって言っていたよね?」
「そう、5年前に病気で死んだよ。どうかしているよ、あのおじさん。頭がおかしいんじゃないのかな」
ピロロロロロ 上野駅十六番ホームのベルが鳴った。
野上と甘木はホームに停車していた急行能登に乗り込んだ。午後11時20分、急行能登は富山に向けてゆっくりと動き出した。年末の帰省時期と重なっているにもかかわらず、二人が乗った車両には帰省客の姿はまばらだった。
甘木たちの乗り込んだ車両に、数名の大学生のグループが乗車していた。話を聞いていると、どうやら山スキーで立山の室堂に行くようだ。雄山の山頂から滑走するらしい。列車は高崎駅を過ぎると車内は消灯になった。二人は空いた4人掛けのボックス席に、それぞれ横になって仮眠をとった。
翌朝5時50分、急行能登は予定時刻よりも30分遅れで滑川駅に到着した。二人はしばらく駅舎の休憩室で過ごした後、滑川駅と接続する富山地方鉄道本線のホームに向かい、6時25分発の宇奈月行きに乗り込んだ。上市駅で下車し予約していたタクシーに乗って剣青少年研修センターに向かった。道路は一車線分しか確保されていない。道路の両脇は一メートルほどの雪の壁になっていた。
8時10分、研修センター先のゲートで二人はタクシーを降りた。一般車両はここで通行止めになっているようだ。出発準備を終えた二人は馬場島に向かって歩き出した。ゲートから馬場島までは4キロほどある。
二人が歩いているとタンクローリーと工事車両が通り過ぎて行った。この先には白萩、馬場島の二つの発電所がある。年末に入ったこの時期でも発電所の仕事はあるらしい。道路は発電所のあたりまで除雪されていたが、馬場島発電所から先は雪の上を歩いた。
9時40分、ゲートから歩いて一時間半で馬場島に到着した。富山県警馬場島警備派出所で登山届を提出し、富山県警署員から年末年始の入山状況を確認した。この年末には10団体が剱岳への入山届を提出していることや、二日前に入山した城東大学と昨日入山した広陵大学の二団体が、現在、早月尾根を登攀中との情報を得た。
(作:橘 左京)
旅の疲れか、美由紀と春香はベッドで寝入っている。雄一は、隣のベッドで横になったものの、なかなか眠りにつくことができなかった。甘木はベッドから起き上がって部屋の冷蔵庫を開けた。中からバーボンの小瓶を取り出して氷の入ったグラスに注いだ。グラスを持って窓際の椅子に座ってカーテンを開けた。甘木たち家族が住んでいたマンションの部屋の明かりが見えた。バーボンを喉に注ぎ込みながら、雄一は32年前の出来事を思い浮かべた。
城南大学文学部の一部に在籍する甘木は同じ学部の二部に在籍する野上治夫と厳冬期の剣岳山頂を目指して登攀していた。野上は甘木よりも二つ年上で、郷里は甘木と同じ田沼市であった。甘木が野上の勤務する倉庫会社でアルバイトをしたことがきっかけで、二人とも出身地が同じ田沼市であることや二人の趣味が登山であることから親しくなった。
野上は甘木と知り合ってから間もなく、甘木の両親が借りたマンションで甘木と一緒に共同生活を始めた。昼間は、甘木は大学に行き、野上は勤務先の倉庫会社で働く。夕方は二人で大学の学食で夕食をとって、甘木は大学近くのコンビニでアルバイトをして、野上は夜間学部で授業を受ける、そんな毎日の繰り返しであった。
天気の良い週末は二人で登山に出掛けることが多かった。山に行かない週末は、神田にある登山用品店を回ったり近くの体育館に併設されているトレーニングルームで筋トレをしたり、フリークライミング用のボードを使って岩登りの練習をすることもあった。
二人は今年の登山の締め括りとして、年末に剣岳(標高2999m)の冬季登攀を計画した。剣岳は一般登山者が登る国内の山のなかでは危険度の最も高い山とされている。一般ルートの一服剱 、前剱 、本峰の間で、岩稜伝いにカニのヨコバイ、カニのタテバイと呼ばれる鎖場やハシゴなどの難所が連続しているからだ。一流登山家と言われるクライマーも岩場や雪山で多くの命を落としている。
二人はこれまで、夏場に二度、早月尾根ルートと黒部ダムルートを使って剣岳の登頂を果たしていた。夏場はこの他にも室堂から登る別山尾根ルートもあるが、積雪期の剣岳の登攀ルートは早月尾根ルートしかない。
厳冬期の剣岳登頂には、高度な登攀技術が要求される。また、日本海から吹き抜ける北風と多量の降雪、深いラッセルが登山者の体力を消耗させる。加えて巨大な雪屁、痛烈な地吹雪と至る所に待ち受ける雪崩の罠。岩を登ればホールドを覆う氷と海老の尻尾。至る所に登山者の行く手を阻む障害と危険が待ち受ける。
二人は車中泊を含む5泊6日の剣岳登攀計画は立てた。週間天気予報では、天候は曇り後晴れ、3日目の剣岳登頂の日の天候は曇りになっている。しかし、山の天候は急変する。最悪の事態も想定した備えが必要だ。
(作:橘 左京)
9月10日。私は来週末の18、19日に都内の公園で行われる食べ物系のイベントに出店する自社ブースの設営と運営を任されていた。イベント前日の17日に上京して会場の設営を行うことになっていた。屋外のイベントは天候の良し悪しで客足が大きく変わる。折しも台風が日本列島に近づいている。気象庁が発表した台風情報によると、台風の予想進路上に関東地方が入っている。台風が関東地方を通過する時期とイベントの開催時期が重なっている。私はイベント開催の一週間前から都内の天気を調べることにした……⇒続きを読む
【編集部からのお知らせ】
「週間自分予報」は、ライブラリー⇒文芸にアップされました。
「そうです。今年2月に田沼市役所の職員の方から、市立病院の新築工事の入札で官製談合が行われたという情報が公正取引委員会に寄せられました。この案件については、私が担当しました」
「通報した職員は、坂井盛男という財政課の予算係長をしていた人物ではなかったですか?」
「はい、その方からです。坂井さんからの通報を受けて、私たちは、市役所の関係部署の聞き取り調査や入札に参加した建設会社の立入り調査を行いましたが、残念ながら官製談合が行われたことを示す証拠をつかむことができませんでした」
「斉木さんは坂井盛男、本人とはお会いになりましたか?」
「いいえ、会うことはできませんでした。坂井さんから公取委に提出された文書には連絡先の携帯電話の番号が書いてありましたが、電話をしても通じませんでした」
「本人は20日間ほど警察に拘留されていたので、携帯が通じなかったのかもしれませんね」
「警察に拘留されていた?」
「無免許運転で現行犯逮捕され拘留されていたそうです。拘留されている間に、彼は懲戒免職になったそうですよ。釈放された後、彼は廃業した実家の工場の中で首を吊って自殺しました」
「え、え!自殺したって!どういうことですか?」
「私もまだ、市長に就任する前の出来事なので、当時の詳しい事情は分かりませんが、坂井盛男の上司で財政課長の杉田昇をご存知ですか?同じ中学の同級生ですが……」
「ええ、知っています。部活では私と同じバスケット部に入っていましたから、よく覚えていますよ」
「彼の話では、当時、入札課で市立病院の新築工事の入札を担当していたのが坂井さんで、その坂井さんがマスコミに官製談合が行われてことを情報提供したらしいです。そのことに腹を立てた井上前市長ら市の上層部から排除されたというわけですよ」
「なんてひどいことを!でも今は甘木さんが田沼市長です。官製談合が行われた証拠は残っているはずです。文書で残っていなくてもパソコンに保存された電子データは残っているはずです。死を覚悟して不正行為を暴こうとした坂井さんのためにも、是非、真相を明らかにしてください」
「ありがとうございます。市立病院の新築工事の入札だけではありません。私は、井上市政の下で繰り返された公共工事の入札を巡る『政官業』の癒着構造にメスを入れたいと考えています」
「我々、公取委も新たな証拠が出てくれば調査を再開しますし、処罰可能とあれば検察当局への告発もできます」
「立場は違いますが、お互い正義のためにがんばりましょう!」
二人は握手を交わして別れた。
(作:橘 左京)