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小説「廃屋の町」(第20回)

2017年6月4日ニュース

 旅の疲れか、美由紀と春香はベッドで寝入っている。雄一は、隣のベッドで横になったものの、なかなか眠りにつくことができなかった。甘木はベッドから起き上がって部屋の冷蔵庫を開けた。中からバーボンの小瓶を取り出して氷の入ったグラスに注いだ。グラスを持って窓際の椅子に座ってカーテンを開けた。甘木たち家族が住んでいたマンションの部屋の明かりが見えた。バーボンを喉に注ぎ込みながら、雄一は32年前の出来事を思い浮かべた。
 城南大学文学部の一部に在籍する甘木は同じ学部の二部に在籍する野上治夫と厳冬期の剣岳山頂を目指して登攀していた。野上は甘木よりも二つ年上で、郷里は甘木と同じ田沼市であった。甘木が野上の勤務する倉庫会社でアルバイトをしたことがきっかけで、二人とも出身地が同じ田沼市であることや二人の趣味が登山であることから親しくなった。
 野上は甘木と知り合ってから間もなく、甘木の両親が借りたマンションで甘木と一緒に共同生活を始めた。昼間は、甘木は大学に行き、野上は勤務先の倉庫会社で働く。夕方は二人で大学の学食で夕食をとって、甘木は大学近くのコンビニでアルバイトをして、野上は夜間学部で授業を受ける、そんな毎日の繰り返しであった。
 天気の良い週末は二人で登山に出掛けることが多かった。山に行かない週末は、神田にある登山用品店を回ったり近くの体育館に併設されているトレーニングルームで筋トレをしたり、フリークライミング用のボードを使って岩登りの練習をすることもあった。
 二人は今年の登山の締め括りとして、年末に剣岳(標高2999m)の冬季登攀を計画した。剣岳は一般登山者が登る国内の山のなかでは危険度の最も高い山とされている。一般ルートの一服剱 、前剱 、本峰の間で、岩稜伝いにカニのヨコバイ、カニのタテバイと呼ばれる鎖場やハシゴなどの難所が連続しているからだ。一流登山家と言われるクライマーも岩場や雪山で多くの命を落としている。
 二人はこれまで、夏場に二度、早月尾根ルートと黒部ダムルートを使って剣岳の登頂を果たしていた。夏場はこの他にも室堂から登る別山尾根ルートもあるが、積雪期の剣岳の登攀ルートは早月尾根ルートしかない。
 厳冬期の剣岳登頂には、高度な登攀技術が要求される。また、日本海から吹き抜ける北風と多量の降雪、深いラッセルが登山者の体力を消耗させる。加えて巨大な雪屁、痛烈な地吹雪と至る所に待ち受ける雪崩の罠。岩を登ればホールドを覆う氷と海老の尻尾。至る所に登山者の行く手を阻む障害と危険が待ち受ける。
 二人は車中泊を含む5泊6日の剣岳登攀計画は立てた。週間天気予報では、天候は曇り後晴れ、3日目の剣岳登頂の日の天候は曇りになっている。しかし、山の天候は急変する。最悪の事態も想定した備えが必要だ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者