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小説「視線」(第7回)

2017年2月22日ニュース

 店員が二人の席にランチを持って来た。取り皿を使って2種類のパスタ料理を分け、小分けした料理を食べながら、妻が言った。
「ところで、燃え尽き症候群って知っている。一つの物事に没頭していた人が、突然、燃え尽きたかのように無気力状態に陥る症状のことよ。あなたのように仕事一筋の人生を送って来た人が退職した後、することがなくなると起きやすいそうよ。趣味やスポーツで体を動かすのもいいんじゃないの。2年前に学校を定年退職した隣の藤田さんは、少年野球の指導員をしているわよ」
「燃え尽き症候群か。そう言われればそんな気もするけどね。だからといって、いきなり趣味を見つけろ、スポーツを始めろと言われても無理だよ。藤田さんは中学校で体育を教えていた先生だ。学校を退職した後、藤田さんが少年野球の指導員になったというのも仕事の延長線と考えれば、ごく自然の成り行きじゃないか」男は不機嫌な顔をして答えた。

「そういえば。あなたと結婚したばかりの頃、プラモデルに夢中だったわね。それも車の模型が多かったと思うけど」
「プラモデルか。そう言われればそんな時期もあったね」
 男は独身時代からプラモデルに熱中していた。なかでも乗り物のプラモデルが好きだった。男が勤める工場でスポーツカーを製造していたことや、当時、人気を博していた人形劇による特撮テレビ番組の影響もあった。このテレビ番組は国際救助隊と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して絶体絶命の危機に瀕した人々を救助するというストーリーだ。男は子供が生まれてからもプラモデルを作り続けていたが、社宅が狭くて完成品を陳列する場所の確保が難しくなったことや、娘のおもちゃにもならないと考え、実家にいる兄に引き取ってもらった。兄には2人の息子がいる。
「この前の土曜日に雄太が家に来た時に、私が『おじいちゃんは、若い頃、プラモデルに夢中だったのよ。特に車の模型をたくさん作っていたわよ』って話したら、『僕も今、乗り物の模型を集めているんだ』って言っていたわよ」
「へー、雄太が乗り物の模型が好きだったなんて、知らなかったよ」

 上の娘には2人の子供がいる。一人は小学2年生の雄太、もう一人は幼稚園児の春奈だ。上の娘は土曜日に仕事が入ると、2人の孫を実家に預けて出勤し、帰りに引き取りに来る。明日は娘が二人の孫を男の家に預けに来る日だ。ランチを終えた二人はレストランを出た。
「私の買物は2時半頃には終わると思うので、それまで、いつもの本屋さんで待ってて」と妻が男に言って二人は分かれた。
 ショッピングセンターの店内は広く1階から3階まで吹き抜けの構造になっている。細長い広場を挟んで両側に専門店が並んでいる。いつものことだが、男は本屋で立ち読みをしながら、妻が買い物を終えるのを待っている。妻は自分の買物、それに二人の孫たちが家に来たらあげるお菓子、それと春奈とお菓子作りをするための材料を仕入れる。

 雄太が車の模型に興味を持っていることを妻から知らされた男は、本屋に行かないで、おもちゃ売り場に足を運んだ。店に入って右側の目立つ場所に、片手で握れるくらいのミニカーがずらりと並べられている。乗用車やバス、電車、パトカー、救急車、消防車などの業務用車両と、数も種類も豊富だ。男は、ミニカーの集団の中から赤いスポーツカーを見つけた。
「これは、昔、うちの工場で作っていたスポーツカーだ」
 男はスポーツカーを手に取ってじっと眺めた。男が就職した頃に自社工場で作っていたスポーツカーだ。このスポーツカーは当時、若者の人気を博した車種だった。男は会社の低利ローンを使って赤いスポーツカーを購入した。次に、男はプラモデルを探したがなかなか見つからない。やっと見つけたプラモデルは奥まった場所に陳列されていた。陳列されているプラモデルの多くはロボット物が中心で、乗り物の方は数も種類も少ない。男は赤いミニカーを手に持ってレジに並んだ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者