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選挙と民主主義(第6編)~得票価値の平等

2012年12月6日ニュース

 この「得票価値の平等」は、第5編でお話した「投票価値の平等」と関連があります。「投票価値の平等」は、選挙において民意を平等・公平に反映させるべきとの考え方に基づいて、1選挙区の有権者数を均等化しようというものです。一方、「得票価値の平等」は、民意を選挙のときだけでなく、さらに一歩前に進め、選挙により選出された議員が議会において議決権を行使する際にも反映させようという考え方です。具体的には、議員に対し選挙での得票数に応じた議決権を付与させるものです。これは、保有する持ち株数に応じた権利(議決権)が与えられる株主権に似ています。こうすることによって、議員に対し民意を代表する立場にあることの自覚と責任を持たせることができるのではないでしょうか。ただ、実現にあたっては技術的な問題をクリアーする必要があります。選挙区が複数となる国政選挙や都道府県・政令市の議員選挙において、選挙区の異なる当選議員の得票数をどのような方法で比較可能な数字に置き換えるかです。

 まずは、1つの選挙区で実施される市区町村議員選挙から始めてみてはどうでしょうか。私が住む新潟県阿賀野市では、今年10月に議員選挙がありました。20人の定数に対し22人が立候補しました。当選者の最大得票数は2242票、最低得票数715票でした。実にその差は3.1倍にもなります。当選すれば得票数に関係なく議席は1つですが、議決権も1つというのは不公平な感じがします。皆さんはどのように考えますか。

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

選挙と民主主義(第5編)~議員内閣制

2012年12月4日ニュース

 これまで堅い話が続いたことから、今回は軽いジョークと風刺のきいたブログをお届けします。
 今回のテーマは「議員内閣制」。「議院内閣制」の誤植では?、と思われる読者諸氏もおられるかもしれませんが、間違いではありません。私が住む新潟県阿賀野市における市長と市議会議員の関係を端的に表した言葉として私が作った造語です。

 ご存知のように「議院内閣制」とは、国会(衆議院)の信任に基づいて内閣がつくられ、内閣が国会(衆議院)に対して連帯して責任を負う仕組みをいいます。分かり易く言えば、衆議院で多数を占めた政党の党首が衆議院で内閣総理大臣に指名され、内閣総理大臣が閣僚(各省庁の大臣)を任命し内閣を組織するシステムです。国会(衆議院)と内閣は互いに牽制する関係にあります。国会(衆議院)は内閣に対し不信任案を決議することができます。一方、内閣は国会(衆議院)に対し解散権を行使することができます。不信任案の決議に対抗して解散権が行使されることがありますが、解散権が単独で行使されることもあります。先月16日に行われた国会(衆議院)の解散は後者になります。

 一方、この「議員内閣制」は、市議会議員と市長との蜜月関係を表現する言葉として造りました。現市長は、政策よりも政局を優先する18人(1人は覆面)の市議会議員からの推薦(ラブコール)を受け当選しました。この18人の議員、政局では一致していましたが政策では不一致でした。市長選後、議員の定数削減(24人→22人)を巡って政策の不一致が表面化しましたが、市長との関係においては今でも蜜月関係が続いているように見えます。本来、議会(議員)と市長との関係は「議院内閣制」のように牽制関係、緊張関係にあるべきです。市長と議員が蜜月関係にあることで、議会の有する監視機能が働かなくなっています。私が市長だった頃には、逆に牽制関係が強過ぎて辞職勧告決議というオマケまでいただきました。また、マスコミ対しても絶好の記事ネタを提供する羽目になり、阿賀野市の知名度を少しは上げることができたのではないかと自負しています。(笑い)

 冗談はここまでにして、まじめな話に戻します。私が懸念する点は、議員と市長の蜜月関係が市政運営に与えるマイナス面です。予算の執行方針など重要案件の意思決定が、議会という公開・公式の場ではなく、閨房という密室・非公式の場で行われているのではないかと危惧しています。4月の市議補選や10月の市議選で当選した新人議員諸氏には、現在オフになっている監視機能のスイッチをオンに切り換えていただきたいと思います。

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

選挙と民主主義(第4編)~投票率と投票価値の平等

2012年12月3日ニュース

 2009年8月に実施された衆議院議員総選挙における投票価値(一票の重み)の平等について、本年10月17日に、最高裁判所から「違憲状態」との判決が出されました。選挙名簿登録者数が最多の選挙区と最少の選挙区とで最大2.30倍の格差が生じており、この格差は憲法に定める「法の下の平等に反する」というものです。この格差が是正されない状態で、来月、衆議院選挙が行われることになりました。この衆議院選挙に対しても一票の格差を巡る訴訟が提起されることになるでしょう。最高裁判所は、これまで抜いたことのない伝家の宝刀である「選挙無効」の判決を下すのではないかとみられています。

 さて、この投票価値を計るもとになる数字が選挙名簿登録者数です。前回の衆議院選挙で名簿登録者数が一番多かった選挙区が「千葉第4区」の489,437人です。余談になりますが、千葉第4区は首相である野田佳彦氏の選挙区です。一方、一番少なかった選挙区が「高知第3区」の212,376人です。この人数の比率が1対2.30となり、最多選挙区と最小選挙区とで2.30倍の格差が生じているということです。

 選挙名簿登録者数は投票する権利を持った人の数です。私は、この選挙名簿登録者数をもとに一票の格差を論じることには違和感を覚えます。投票価値を考える場合は、権利を持つ人の数よりも、権利を行使した人の数、すなわち実際に投票した人の数で比較した方が合理的であると考えます。両選挙区の投票者数でみると、「千葉第4区」では307,954人(投票率63.13%)、「高知第3区」では153,646人(投票率72.73%)となります。比率は1対2.00で2倍の格差となります。この2倍の格差が違憲かどうかは裁判所の判断に委ねるしかありません。

 ところで、「権利の上に眠る者は保護に値せず」という法律の格言があります。この格言は、権利を行使しない者は法的な救済を受けられないという意味です。そえゆえに、選挙権を行使しなかった人、すなわち棄権した人の数も含めて「法の下の平等」(法的救済)を論じても意味がないと考えるからです。話は少し変わりますが、先月、米国の大統領選挙がありました。米国大統領選挙の選挙権は、国籍条項や年齢制限(18歳以上)に加えて選挙人登録を行っていることが要件となります。米国は日本のような住民基本台帳がないため、自動的に選挙人名簿に登録されることはなく、自己申告で選挙人名簿に登録しなければなりません。この自己申告が「選挙権を行使したい」という有権者としての意思の表明になります。大統領選では選挙人名簿に登録する人の数を増やすこと、いわば票田を広げる運動が選挙戦略上、欠かせない工程になっています。ところが、日本では出生や住居移転を機に行われる住民登録によって、選挙権を行使するかどうかの意思確認が行われることなく自動的に選挙人資格が与えられます。自主自立を重んずる文化と至れり尽くせりの文化の違いでしょうか。皆さんはどのように考えますか。
※参考文献:ウィキペディアフリー百科辞典

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

選挙と民主主義(第3編)~有権者は既得権者か?(その2)

2012年12月2日ニュース

 一般的に投票率が低くなると組織票を持つ候補者や政党が有利になると言われています。国政選挙では業界団体や宗教団体などの票が組織票として選挙結果に大きな影響を及ぼします。一方、地方選挙、特に小規模な市町村の議員選挙では、地縁、血縁の票が組織票として大きな役割を果たします。 

 さて、隠れた大きな組織票があることを読者の皆さんはご存知でしょうか。それは高齢者の票です。今や日本人の4人に1人は65歳以上の高齢者です。投票人口が多いことと投票率が高いことから、今や高齢者の票は最大かつ最強の組織票です。この組織票を何とか取り込もうと、候補者や政党は高齢者に対して優しい政策を提示します。分かりやすく言えば、負担を強いるような政策は引っ込め、逆に負担を軽減する政策を提示します。一方、人口が減っていることや投票率が高齢者と比較して低くなっている現役世代(勤労者)に対しては、厳しい政策が、すなわち負担増加の政策が選択されがちです。国民負担率(租税負担率+社会保障負担率)をみると、現役世代の方が高齢者世代よりも高くなっています。

 先に臨時国会で民主党と自民・公明両党の3党合意で決まった「社会保障と税の一体改革」は、高齢者の負担が増える消費増税は選挙前に片づけ、医療費や年金の給付抑制については先送りするものでした。これは衆議院選挙の争点化を避けるためにとられた戦略だったのです。現役世代の負担をこれ以上増やさないためにも、特に20歳代と30歳代の投票率を上げて高齢者票に対抗できる組織票にしていかないと、「給付と負担」を巡る世代間格差は益々広がっていきます。若者の積極的な政治参加を期待しています!

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

選挙と民主主義(第3編)~有権者は既得権者か?(その1)

2012年12月1日ニュース

 私が愛読している経済紙に、先日、民主党と自民・公明両党との3党合意で実現した社会保障と税の一体改革(消費増税と医療費・年金の給付抑制)に関連して、ある企業経営者(故人)が語った言葉が載っていました。「国民に負担を納得してもらうという政治家が出にくいのは、必要な負担を免れている点で有権者も既得権者だからだ」という言葉です。同じような趣旨の言葉を某大手企業の経営者の論評の中にも見つけました。

 この「有権者は既得権者だ」という言葉は、選挙権を行使する有権者(実際に1票を投じる有権者)のことを指して、既得権者であるといっているのです。この言葉の意味は投票行動の動機を考えれば簡単に理解できます。有権者がわざわざ手間暇かけて投票場に足を運んで投票するのはなぜでしょうか。有権者の多くは自分(自分たち=集団、組織)の利益確保や負担回避を期待して、それを叶えてくれそうな候補者・政党に1票を投じるからです。このように投票行動には極めて利己主義的な動機が含まれています。(それゆえに利益誘導の政治がなくならないのです。)

 特に増税など国民に負担を強いるような政策が選挙の争点になると、その政策を掲げた政党は必ず敗北します。最近では2010年7月に行われた参議院選挙において、民主党が大敗し与党が参議院で過半数割れをした原因の一つとして、当時の管直人首相が突然打ち出した消費増税が挙げられています。このような歴史の教訓を踏まえたのかどうか知りませんが、「近いうちに」行われる衆議院選挙の争点にしないよう、民主党と自民・公明両党との3党合意で消費税率の引き上げ法案を、先の臨時国会で成立させました。一方で、消費増税の凍結を打ち出して、わざわざ争点化させようとしている政党もあります。※次号に続く。

(代表 天野市栄)

posted by 地域政党 日本新生 管理者