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小説「視線」(第7回)

2017年2月22日ニュース

 店員が二人の席にランチを持って来た。取り皿を使って2種類のパスタ料理を分け、小分けした料理を食べながら、妻が言った。
「ところで、燃え尽き症候群って知っている。一つの物事に没頭していた人が、突然、燃え尽きたかのように無気力状態に陥る症状のことよ。あなたのように仕事一筋の人生を送って来た人が退職した後、することがなくなると起きやすいそうよ。趣味やスポーツで体を動かすのもいいんじゃないの。2年前に学校を定年退職した隣の藤田さんは、少年野球の指導員をしているわよ」
「燃え尽き症候群か。そう言われればそんな気もするけどね。だからといって、いきなり趣味を見つけろ、スポーツを始めろと言われても無理だよ。藤田さんは中学校で体育を教えていた先生だ。学校を退職した後、藤田さんが少年野球の指導員になったというのも仕事の延長線と考えれば、ごく自然の成り行きじゃないか」男は不機嫌な顔をして答えた。

「そういえば。あなたと結婚したばかりの頃、プラモデルに夢中だったわね。それも車の模型が多かったと思うけど」
「プラモデルか。そう言われればそんな時期もあったね」
 男は独身時代からプラモデルに熱中していた。なかでも乗り物のプラモデルが好きだった。男が勤める工場でスポーツカーを製造していたことや、当時、人気を博していた人形劇による特撮テレビ番組の影響もあった。このテレビ番組は国際救助隊と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して絶体絶命の危機に瀕した人々を救助するというストーリーだ。男は子供が生まれてからもプラモデルを作り続けていたが、社宅が狭くて完成品を陳列する場所の確保が難しくなったことや、娘のおもちゃにもならないと考え、実家にいる兄に引き取ってもらった。兄には2人の息子がいる。
「この前の土曜日に雄太が家に来た時に、私が『おじいちゃんは、若い頃、プラモデルに夢中だったのよ。特に車の模型をたくさん作っていたわよ』って話したら、『僕も今、乗り物の模型を集めているんだ』って言っていたわよ」
「へー、雄太が乗り物の模型が好きだったなんて、知らなかったよ」

 上の娘には2人の子供がいる。一人は小学2年生の雄太、もう一人は幼稚園児の春奈だ。上の娘は土曜日に仕事が入ると、2人の孫を実家に預けて出勤し、帰りに引き取りに来る。明日は娘が二人の孫を男の家に預けに来る日だ。ランチを終えた二人はレストランを出た。
「私の買物は2時半頃には終わると思うので、それまで、いつもの本屋さんで待ってて」と妻が男に言って二人は分かれた。
 ショッピングセンターの店内は広く1階から3階まで吹き抜けの構造になっている。細長い広場を挟んで両側に専門店が並んでいる。いつものことだが、男は本屋で立ち読みをしながら、妻が買い物を終えるのを待っている。妻は自分の買物、それに二人の孫たちが家に来たらあげるお菓子、それと春奈とお菓子作りをするための材料を仕入れる。

 雄太が車の模型に興味を持っていることを妻から知らされた男は、本屋に行かないで、おもちゃ売り場に足を運んだ。店に入って右側の目立つ場所に、片手で握れるくらいのミニカーがずらりと並べられている。乗用車やバス、電車、パトカー、救急車、消防車などの業務用車両と、数も種類も豊富だ。男は、ミニカーの集団の中から赤いスポーツカーを見つけた。
「これは、昔、うちの工場で作っていたスポーツカーだ」
 男はスポーツカーを手に取ってじっと眺めた。男が就職した頃に自社工場で作っていたスポーツカーだ。このスポーツカーは当時、若者の人気を博した車種だった。男は会社の低利ローンを使って赤いスポーツカーを購入した。次に、男はプラモデルを探したがなかなか見つからない。やっと見つけたプラモデルは奥まった場所に陳列されていた。陳列されているプラモデルの多くはロボット物が中心で、乗り物の方は数も種類も少ない。男は赤いミニカーを手に持ってレジに並んだ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「視線」(第6回)

2017年2月20日ニュース

 向かい合わせに座った二人はテーブにあるメニュー表をそれぞれ開いた。
「あなた、今日はパスタが美味しそうね。パスタにしない」妻が男に提案した。
「ああ、それがいいね」男は反射的に答えた。男には選択権はない。
「いつものように、2種類別々に注文すれば、2種類のパスタが楽しめるわ。私はクリーム系のカルボナーラにするわ。あなたはトマト系のペスカトーレはどうかしら」
「ああ、それでいいよ」男は同じ言葉を繰り返した。
「本当にこれでいいの」珍しく妻が男に気を使って言った。
「ノープロブレム」男は言葉を変えて繰り返した。

 パスタ料理のいろはも知らないも男にとっては、どうでもいいことだった。パスタがマカロニやスパゲッティの類を総称したイタリア語であると、男が知ったのは最近のことだ。男が子供の頃から知っているパスタ料理といえば、マカロニサラダとミートソースだけだ。
「済みません。カルボナーラとペスカトーレをお願いします。それと取り皿も一緒にお願いします」
 妻は水の入ったコップを持って来た店員に注文を入れた。
「あなた。退職して半年が経ったけど、時間を持て余し気味じゃないの。普段のあなたを見ていると、よく分かるのよ」
 ランチが出来上がるのを待ちながら妻が男に言った。
「君にはそういう風に見えるかもしれないが、今は工場勤めの頃に使い過ぎた体と心を休める時間に充てているんだ」
「退職してもう半年が過ぎたわ。充分、静養できたんじゃないの」
「体の疲れはなくなっても心の疲労感がまだ抜けていないんだ」

 男は3年前に起きた出来事を思い出した。男が勤めていた工場で製造され米国に輸出された高級車の電子制御装置に不具合が見つかったとして、会社は米運輸省高速道路交通安全局 (NHTSA)に大規模なリコールを届け出た。対象車は50万台余りに上った。当時、副工場長だった男はその対応に追われた。また、男の直属の部下で電子制御装置の生産ラインの責任者だった担当課長が事後処理に忙殺されて過労死した。この部下は一家の大黒柱となって妻と3人の子供を養っていた。遺族の心情を察すると、それが痛恨の極みとなって男の心に刻まれていた。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「視線」(第5回)

2017年2月18日ニュース

 普段は自分の軽自動車を運転して近くのスーパーに買い物に行く妻であるが、第2、第4金曜日になると、男の車に乗せてもらって郊外にある大型ショッピングセンターに出掛ける。近所にあるスーパーや店では買えない商品やサービスを購入するためだ。それとお気に入りのレストランでランチを食べる目的もある。午前11時半過ぎに家を出るため、家事の生産ラインはいつもより早く回転する。
 朝食の席で妻が男に言った。
「あなた、今日は買い物に行く日よ。車、お願いね」
「ああ、分かったよ。例の所ね」男が反射的に答えた。

 妻は車線が多く混雑した道路での運転が苦手だ。車線変更が怖いらしい。妻は以前、車線変更に失敗して後続車と接触事故を起こしたことがある。それがトラウマとなって複数車線のある道路での運転は避けている。通常、車線変更をする場合、ドアミラーやバックミラーを見て後続車の動きに注意を払いながら、まずはウインカーを出して後続車に車線変更の合図を送りながら、ハンドルを切るタイミングを探る。妻はウインカーの点滅とハンドル操作の間合いを計るのに相当な神経を使うらしい。妻が家の中に敷いた家事の生産ラインのように自動制御されていないからだ。大型ショッピングセンターに向かう途上に妻が苦手な道路があるので、男の車が妻の足代わりになる。

 男が妻の足代わりに運転する車は、もちろん自社工場で製造している小型の大衆車だ。午前11時半過ぎ。男は妻を車に乗せてショッピングセンターに向かった。いつものことだが妻は後部座席に座っている。男が妻と交際していた頃に乗っていた車は、当時、男が勤務していた工場で製造していたスポーツカーだった。団塊世代の若者、特に男子にとっては車を所有すること自体が憧れでありステータスシンボルであった。また、車は女性の心をつかむための強力な道具でもあった。助手席に彼女を乗せてドライブに出かける。景色の良い場所で車を止めて、彼女を口説いてプロポーズというお決まりのパターンだ。男もそれを実践し妻と結婚した。

 男の運転する車がショッピングセンターに着くと、時計は正午を回っていた。いつものことだが、ランチを済ませてから買い物をすることになっている。どこでランチを食べるかは妻の裁量に任されている。
「あなた、お昼はイタ飯なんかどうかしら」妻が男に提案した。
(最初から決まっているくせに)と男は思ったが、
「イタ飯か。たまにはいいね」と相槌を打った。
 お昼時ということもあって、レストランの前には行列ができていた。予約を入れて店先に並べた椅子に腰を掛けて席が空くのを待った。しばらくして係の女性が予約表に書き入れた男の名字を呼んだ。男と妻が店の中に入ると、係の女性が「お客様はお煙草をお吸いになりますか」と男に尋ねた。男は妻の顔色を読んだ後、「いいえ。禁煙席をお願いします」と答えた。自分一人であれば「喫煙席をお願いします」と男は言いたかったが、家の中でも外でも妻と一緒に居る場所では禁煙になっている。

 二人は禁煙席に案内された。この店では分煙になっているらしく禁煙席と喫煙席がはっきりと分かれている。喫煙席は片隅に追いやられ4分の1ほどのスペースだ。喫煙席ではダークスーツ姿の一団のサラリーマンが日替わりランチを注文していた。分煙・禁煙の流れは公共施設だけでなく、民間施設でも広がっているようだ。特にスーパーやデパート、レストランなど不特定多数の人が集まる場所は分煙や禁煙が進んでいる。男が時々行く近所のパチンコ店でも、分煙にするか禁煙にするかでもめているようだ。パチンコ利用者の喫煙率を考えれば禁煙はマイナス要因に働くが、一方で非喫煙者を新規顧客に取り込めるという思惑も働く。その点、分煙にすれば喫煙者も非喫煙者も顧客に取り込めるが、そのための設備投資が新たに必要になってくる。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「視線」(第4回)

2017年2月16日ニュース

 2階の自室は上の娘が家に居た頃に使っていた畳部屋であるが、今は男の書斎兼寝室になっている。この部屋は妻の視線や妻が呟く小言から身を守るシェルター(避難場所)にもなっている。男が会社勤めをしている頃は気が付かなかったが、妻は几帳面で神経質な性格の持ち主だ。男がたった今使った居間の明かりやエアコンのスイッチ消し忘れ、男が今しがた使ったトイレと洗面所の電気の消し忘れや汚れが気になるらしい。1階の台所で、朝食に使った食器を洗っている妻の小言が2階の自室に居る男の耳に届くことがあるが、食器を洗う音に邪魔されて小言の中身がよく聞き取れない。
 聞き取れなかった妻の小言が、台所で昼食を食べている時に男の目の前で再現された。
「あなた。朝ご飯の時、ご飯粒やおかずを床にこぼしたでしょう。落ちていたわよ。まるで小さな子供みたいじゃないの」と妻は男に指摘した。
 小言に嫌味も加わって男の心を突き刺す。箸やスプーンからこぼれ落ちたのであれば気が付くだろうが、いったん口に入れた後にこぼれたのであれば、気が付かないこともある。男は、朝ご飯を食べた時、向かい合わせに座った妻の視線を避けるようにして下を向いて食事をとったことを思い出した。言い訳をすれば小言や嫌味が倍返しで返って来そうな空気を感じ取った男はうつむいて、
「ああ、すみません。今度から気を付けます」と答えた。

 男が工場勤めをしていた頃は、妻がどのようにして終日、家で過ごしているのか、関心もなければ気に掛けることもなかった。仕事を終えて家に帰れば、風呂や夕食の準備は出来ていたし、朝起きると朝食の支度が出来ていた。男が目を覚ますと、頭の中には今日の予定表が張り出され、体はまだ家にあっても、心の方は一足先に出社し会社にあった。「夫は会社で仕事、妻は家庭で家事と育児」という役割分担が、我が家の不文律となって日々の生活が繰り返されていた。

 しかし今は違う。男と妻は、一つ屋根の下で居間に掛けてある柱時計が刻む時の流れのなかで、場所と時間を共有している。男が消費する時間のほとんどは自由時間だ。一方、妻が消費する時間の3分の2は拘束時間で家事に費やされる。男は、家の中で家事をする妻の姿を見ながら、妻の家事労働が男の勤め先だった工場の生産ラインに似ていることに気づいた。1階にある台所、居間、トイレ、洗面所、風呂場は妻が敷いた生産ラインに組み込まれている。炊事、洗濯、掃除、買い物の順で時間通りに機械的に作業が流れていく。妻は生産ラインが思い通り時間通りに流れないといらいらして機嫌が悪くなる。その原因が男にあると妻が認定した場合は、容赦なく男に冷たい視線を浴びせ、時には嫌味や愚痴となって男の自尊心を傷つける。居間で新聞を読んだりやテレビを見たり、台所に飲み物を取りに行ったり、トイレに用を足しに行ったりすることに他意はない。普通で自然な家の中での振る舞いがどうして妻の機嫌を損ねるのか、男は理解に苦しんだ。

 「亭主元気で留守が良い」男が係長に昇進した年に放映されたテレビコマーシャルがきっかけとなって広まった流行語だ。夫は家にお金を入れるだけで良く、普段は家にいない方が妻にとって都合が良いということを意味する言葉だ。会社勤めを終えた男は会社からもらった退職金を取り崩して、毎月、妻に生活費を渡している。この点は流行語と同じだが、後半の「留守が良い」という点は違う。一日中、家に居る男が何かと目障りな存在となって妻の目に映るのだろうか。

 妻が持っている残り3分の1は自由時間だ。妻はこの時間を利用して、習い事や友達付き合いの時間に充てている。妻は同じ習い事をしている友人から「美味しい料理が食べられるお店を見つけたわよ」と誘われてランチに出掛けることがある。午前11時過ぎになると友人の運転する車が妻を迎えに来る。妻が友人とランチに出掛ける時は、留守番をする男の昼食の支度もあることから、生産ラインは通常よりも速く回転する。その日が来ると、男は朝食を食べた後、足早に台所を去って居間を素通りして2階の自室に逃げ込む。男が1階に居ると、生産ラインが止まったとか、回転が落ちたとか、妻から疑いの目で見られてはたまらないという心理が男に避難行動を促す。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「視線」(第3回)

2017年2月14日ニュース

 会社勤めがなくなった今は、男の居場所は我が家しかない。住み慣れたはずの我が家であるが、他人の家に居るような感じで落ち着かない。
会社を退職して間もなく半年になるが、この半年間を振り返ってみると単調な1日の繰り返しだ。男は朝食を食べ終えると1階の居間に入っては新聞を広げて読み始める。1面から読み始め、政治経済、スポーツ、文化、社会、と紙面の端から端まで目を通す。最後は番組欄をチェックして今日見る番組にマーカーで印を付ける。これだけで二時間はかかる。会社勤めをしていた頃は、忙しくて新聞をゆっくりと読んでいる暇はなかった。朝食を食べながら、新聞紙を広げて一面と政治経済面にさーと目を通して、他は見出しを追う程度だった。しかし今は違う。男は捨てたいほどに沢山ある時間のやりくりに困っていた。一方、妻の方は、毎日の買物と週に何回かある習い事や友達付き合いで忙しい。日中、家を留守にすることも度々ある。妻が家に居ると男の背中に向かう視線が何かと気になるが、この時ばかりは家でゆったりと過ごすことができる。

 男にとって、今住んでいる場所が我が家であっても「仮の居場所」のままである。一方、「家内」で「嫁」である妻にとっては、今住んでいる場所が我が家であり、最初から「本来の居場所」である。男にとって、我が家が「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」を満たす場でしかないが、妻にとっては「自我の欲求」や「自己実現欲求」も満たしてくれる場所でもある。家の中では、食事、掃除、洗濯など家事全般と育児を取り仕切っている妻の権威は絶大だ。男が朝食を終えて1階居間のソファーに座って新聞を読んでいる時、男は台所で家事をしている妻の視線を背中に感じることがある。食器を洗う音がいつもよりも大きく聞こえる時や、男が新聞を読んでいるのに掃除機を回す時だ。男が居間で新聞を読んでいると、掃除機が居間に入って来る時もある。そんな時、男は自分が「粗大ごみ」なって掃除機に吸い込まれてしまうのではないかという不安に駆られることがある。男は読み掛けの新聞を持って2階にある自室へと向かう。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「視線」(第2回)

2017年2月12日ニュース

 定年退職後、これといった趣味を持っていなかった男は、毎日が休日になった。会社勤めをしていた頃は、家にいる時よりも会社にいる時の方が居心地が良かった。男にとって、本来の居場所は「会社」であり、「家」は仮の居場所でしかなかった。マズローの欲求5段階説に従えば、家は「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」といった低次の欲求を満たす場であり、会社は「自我の欲求」「自己実現の欲求」といった高次の欲求を満たしてくれる場であった。会社に居れば、自分の持っている技術や知識といった「見えない」ノウハウが「見える」製品となって社会に流通し人々の生活を豊かにしていく。男が勤務する工場で製造・集荷された車が通勤途上の道路を走っている光景を目にすると、男は自分の仕事が社会に役立っていることを実感する。男にとっては40年余りの会社勤めは人生そのものだった。
 
 会社では従業員の「自我の欲求」や「自己実現の欲求」を巧みに取り込み、会社の業績向上につなげる仕組みが構築されていた。その仕組みとは新卒で入社し定年まで同じ会社に勤める「終身雇用」と勤続年数や年齢などを重視して役職や賃金を決める「年功序列」といった人事制度だ。このほかにも従業員とその家族に対して保険・住宅・教育などへの給付金の支給や社員寮・住宅、保養施設などの提供を行う「福利厚生」も用意されていた。この「福利厚生」は、会社が家父長のように従業員の生活にも介入し物心両面にわたって従業員やその家族の面倒をみる制度だ。従業員は会社が個人生活に介入することを承諾する代わりに、当然の恩恵として会社からの庇護を受け取り、会社のために忠誠を捧げて生産に励むという家族主義的な企業経営が、当時、普通に行われていた。「終身雇用」と「年功序列」で従業員の長期・安定雇用を保障し、「福利厚生」で従業員とその家族の生活を保障するという日本型雇用慣行が高度成長期の日本経済を支えていた。

 男が入社した当時、工場には常勤雇用の従業員が500人いたが、その後、製造ラインの自動化によって人員規模は縮小し、退職を迎えた年には300人ほどの人員体制だった。男は副工場長の役職で定年を迎えた。転勤を覚悟すれば工場長の椅子も用意されていたが、転勤になれば単身赴任が避けられないことから、男は昇進の話を断った。家事をしたことがない男は、単身赴任先で仕事と家事を両立させることは難しいと考えた。家事の中でも特に食事の支度は面倒だ。外食に頼れば栄養の偏りが生じ、やがては生活習慣病を発症するのではないか、という不安があった。男よりも7歳若い大卒の工場長は転勤族で単身赴任中だ。子供が小さい頃は家族で引っ越しを繰り返していたようだが、子供が学校に入ってからは単身赴任を続けているという。工場長は外食中心の食生活と過度な飲酒、喫煙がたたって糖尿病を患っている。
 男が会社勤めをしていた頃の社会には、「男は会社で仕事、女は家庭で家事と育児」、という性別による役割分担が当然という風潮があったし、当時の会社(企業・雇用主)もそれを是認していた。近年、盛んに言われている仕事(会社)と生活(家庭・家族)のバランスを重視する「ワーク・ライフ・バランス」というような考え方はなかったし、男性が育児や介護のため会社を休む、労働時間を短縮する、などという考えは当時の社会では許容されていなかった。
(作:橘 左京)

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小説「視線」(第1回)

2017年2月10日ニュース

 男の家は大通りに面した日当たり良好な南向きに建っている。この家に住んでいるのは男と妻の2人だ。この家で夫婦二人きりの生活になってかれこれ5年になる。2人の娘は結婚を機に家を出た。結婚して隣町に住む上の娘が土曜日に仕事が入ると小学生と幼稚園児の2人の孫を男の家に預けに来る。男は今年3月 、40年余り勤めた大手自動車会社の製造工場を定年退職した。会社から退職後の再雇用や再就職先の話もあったが男は丁重に断った。悠々自適な生活を楽しみたいと考えたからだ。

 男は東北地方の寒村に生まれた。農家の後継ぎになる長男は実家に残り、男は地元の工業高校を卒業した後、関東地方にある自動車会社の製造工場に集団就職した。男が卒業した高校からは数人が同じ工場に就職したが、定年まで勤め上げたのは男1人だけだった。男は戦後生まれの第一次ベビーブーム世代だ。男が就職した昭和40年代の日本経済は高度成長期に入っていた。当時、地方の農村部にいた若者(男子)は農業以外に就業の機会が与えられていない地元を離れて、新たな就業先を求めて都会へと流れていった。一方、対米輸出の拡大を目論んだ自動車や電器機器などの輸出産業は工場労働者として若い人材を求めていた。当時、地方にいた若者(男子)は「金の卵」と呼ばれ、たくさんの若年労働力を求めていた製造工場では、彼らの争奪戦が繰り広げられた。なかでも工業高校を出た新卒の男子は即戦力としての活躍が期待され、どこのメーカでも引っ張りだこだった。「数は力なり」第一次ベビーブーム世代の彼ら彼女らは人口ピラミッドの中で大きな塊を形成していることから「団塊の世代」とも呼ばれている。団塊の世代は豊富な労働者となってモノやサービスの大量生産に携わり、同時に消費者となってモノやサービスの大量消費に参加して高度成長期の日本経済を支えた。

 男が就職した当時の工場は昼間・準夜勤・夜勤の三交代の勤務体制が敷かれ、工場は24時間休むことなく稼働していた。男の労働時間は長時間、変則的だったため、家に居る時は、消耗した体に休息を与える時間に充てていた。2人の娘が家にいた頃は、たまに家族で外に出掛けたりすることもあったが、男にとって我が家は寝に帰る場所であり体に休息を与える場所でしかなかった。妻との出会いは、男が会社の独身寮に入っていた頃に遡る。当時、妻は独身寮の賄いをしていた。郷里が同じということもあって、男はこの女性と親しくなって交際を始めた。男はこの女性と知り合って5年後に結婚した。男は結婚すると独身寮から世帯用の社宅に移った。妻は寿退職して専業主婦になった。2人の間に子供が生まれ、子供が大きくなるにつれて社宅が手狭になったことから、勤務先の工場から7キロほど離れた場所に造成された新興住宅団地に車庫付きの一戸建て住宅を手に入れた。男が通勤に使う自家用車は、男が勤務する自社工場で製造している小型の大衆車だ。男が独身の頃は、会社が若者向けに開発したスポーツカーを乗り回していたが、結婚して子供ができてからは、大衆車に変更した。男はその車を運転して、毎日、勤務先の工場に通勤した。住宅と車の購入資金は、会社が従業員に提供する「福祉厚生」を利用して長期・低利のローンを組んだ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「祭ばやし」(第14回)

2017年2月8日ニュース

 祭典委員としての夜の仕事が待っていた徹は早めの夕食をとって集合場所の公園に出掛けた。男衆の担ぐ大灯篭、女衆が担ぐ女性灯篭が台座に据えられている。辺りが薄暗くなってきた。灯篭に灯が灯された。蝋燭の炎の揺らぎが灯篭に描かれた武者絵と般若絵を怪しく映し出す。一升瓶に入った日本酒が白い猪口に注がれ、灯篭の担ぎ手など参加者に振る舞われた。男衆のなかには顔を赤らめた若者もいる。
 エイサ、エイサ、エイサ
 エイサ、エイサ、エイサ
 提灯を持った先導役、男衆と女衆が担ぐ灯篭、祭りの文字が入った大きなうちわを持った者、飲み物を積んだ台車の順で動き出した。蝋燭の火に灯された灯篭が暗くなった町内の小路を巡行する。男衆が担ぐ大灯篭が大通りに出ると、隣の町内会の大灯篭と会遇しぶつかり合った。
 エイサ、エイサ、エイサ
 エイサ、エイサ、エイサ
 押し合いで熱くなった男衆の体めがけて柄杓に入った水が浴びせられた。男衆の体の熱りが水を白い蒸気に変えて周囲に立ち昇った。
 ヒュー、ダーン
 ヒュー、ダン、ダン、ダン
 どうやら瓢箪池の湖畔で花火の打ち上げが始まったようだ。大小様々な色と形の花火が夏の夜空を飾った。徹にとって、花火は子供の頃から見慣れた夏の風物詩だ。今ごろ家では由紀子と春香が2階で花火を見ていることだろうと、徹は思った。
 エイサ、エイサ、エイサ
 エイサ、エイサ、エイサ
 ぶつかり合いを演じた男衆の灯篭は一路、諏訪神社に向かった。徹が随行する女衆の灯篭も神社に向かった。
 エイサ、エイサ、エイサ
 御神体を乗せたお神輿が巡行を終えて神社に戻って来た。いよいよ夏祭りのクライマックスシーンが始まる。巡行を終えて帰ってきたお神輿から御神体を神社に移す「宮入り」だ。お神輿が神社の境内に入るや、お神輿の帰りを待っていた男衆と女衆はスクラムを組み、御神体に悪霊が紛れ込まないようにと、結界を作った。
 エイサ、エイサ、エイサ
 エイサ、エイサ、エイサ
 掛け声を上げて男衆と女衆は押し合った。御神体の宮入りが終了したことを示す神楽の奉納舞が行われ祭りは終わった。徹の腕時計は午前零時を回っていた。
 徹たち親子がこの町に引っ越してきたのは6年前の夏だった。最初の頃は仮住まいの場所と考えていたが、もしかして終の住処になるかもしれない。もうしばらくこの町に住んでみようと徹は思った。(了)
(作:橘 左京)
【お知らせ】
 連載した小説「祭ばやし」は加筆・修正の上、PDFにして「ライブラリー」⇒「文芸」にアップされました。

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「祭ばやし」(第13回)

2017年2月6日ニュース

 午後3時頃。徹たち5人は再び公園に向かった。公園には法被を着た囃子方の小中学生が集まっていた。
「お父さん、写真撮って」
 紅い法被を着た春香が紅白の布や提灯などで飾られた山車の前に立って、両手を上げてVサインを作った。
 カシャー
 徹のスマホが春香の得意ポーズをとらえた。
 公園には山車を引くために参加した子供と母親も集まっていた。青い法被を着た男の子や赤やピンク色の法被を着た女の子だ。頭にはねじり鉢巻き、上は法被に、下は白い短パンと白足袋を履いたお祭り衣装に身を固めた女の子もいる。山車が出発する前に、神楽舞の一行が公園にやって来て獅子舞と剣舞を披露した。獅子頭に頭を食まれ泣き出した幼子もいた。3時半過ぎ。予定時間を少し遅れて、仁和加(にわか)がゆっくりと公園を出発した。
 ピーシャラ ピーシャラ
 ドドンコ、ドン ドドンコ、ドン
 トコトン、トコトン
 チンチン、カンカン
 囃子方の演奏が始まった。山車に乗った春香が樽太鼓を叩いている。バチさばきが昨日よりも滑らかに見える。徹ら4人は山車の前から出た二本の手綱を握って、山車を引っ張った。
 ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ
 山車が巡行する沿道では近くに住む人が通りに出て山車を見物している。小さな子供を抱いた母親の姿が見える。孫の手を握ったお年寄りの姿も見える。
「仁和加(にわか)を止めてください。ここでちょっと休憩を入れます」
 祭典委員の佐々木さんが号令を掛けた。参加者に氷菓子が振る舞われた。囃子方の子供たち、山車を引く子供たちや大人たち、沿道の見物客にアイスキャンディーが配られた。徹も1本もらって口に入れた。喉を通過して胃袋に入った氷菓子が熱くなった徹の体を冷ました。徹はアイスキャンディーを食べながら子供の頃に過ごした夏休みを思い浮かべた。
 発泡スチロール製のクーラーボックスを自転車の荷台に積んで氷菓子を売りに来た麦わら帽子のおじさんだ。麦わら帽子のおじさんは、チリン、チリン、チリンと、手に持った鉦を振りながら集落の中を回る。まだ、家々にクーラーが普及していなかった頃で、暑い部屋の中を少しでも涼しくしようと縁側の戸を開けっ放しにするが、涼風が途切れ途切れに入ってくる程度だ。代わりに麦わら帽子のおじさんが鳴らす鉦の音が、風鈴の音色のように涼感を運ぶ。テレビを見ながら、うたた寝をしていた徹は祖母からもらった小銭を持って道路に出た。おじさんにお金を渡して、棒の付いたアイスキャンディーや凍ったジュースが入ったチューブをもらって口に入れた。まだ冷蔵庫が普及していなかった頃に、氷菓子を食べて酷暑をしのいだ思い出の1シーンだ。
 休憩が終わって仁和加(にわか)がゆっくりと動き出した。町内を巡行した山車は1時間ほどかけて公園に戻ってきた。本部テント前で山車の帰りを待っていた祭典委員長の挨拶が終わった後、祭りに参加した子供たちに、ご褒美のお菓子が配られた。お菓子の入った袋をもらった春香と英人君、浩司君は大喜びだ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「祭ばやし」(第12回)

2017年2月4日ニュース

 祭り2日目の25日は朝から厳しい残暑に見舞われていた。夏祭りに合わせて、午前中、町内会主催のイベントが公園で行われた。徹は春香と由紀子、それに由紀子の甥にあたる小学6年生の英人君と4年生の浩司君を誘ってイベント会場に向かった。公園は親子連れで賑わっていた。金魚すくい、ヨーヨー釣り、スカットボールなどのゲームや綿菓子、ポップコーンなどの食べ物コーナーが設けられていた。金魚すくいやヨーヨー釣りの前では子供たちが並んで順番を待っていた。これらのイベントは主に子供向けに企画されたものだが、大勢の子供たちから参加してもらおうと、無料の参加券が町内の全世帯に配られた。この参加券を持って行けば人数に関係なく誰でも参加できる。参加券には「子供の参加は大歓迎!」と書いてあったので、由紀子は甥にあたる2人の小学生を誘った。春香、英人君、浩司君の3人はこの無料チケットを使ってイベントに参加した。
 徹たちはゲームを一通り楽しんだ後、本部テントに入った。本部テントの中ではかき氷が振る舞われていた。春香の同級生の雄太君がお母さんと一緒にかき氷を食べていた。
「雄太君、こんにちは。今日も太鼓、頑張ろうね」春香が雄太君に向かって言った。
「もちろんさ。春香ちゃんも頑張ってね」雄太君が答えた。
 かき氷のシロップは赤、黄、緑、青の4種類が用意されている。春香、英人君、浩司君の3人はそれぞれ好きなシロップを掛けてもらった。春香は赤、英人君は青、浩司君は黄のシロップを掛けてもらった。3人のかき氷の色を見て、徹は思わず含み笑いした。
「お父さん。どうして、にやにや笑っているの」春香が徹に尋ねた。
「だって3人のかき氷のシロップが赤、青、黄の3色でしょう。まるで信号機の色みたいじゃないか。春香のかき氷は赤だけど、赤信号の時は横断歩道を渡っちゃいけないよ。みんなが渡ろうと言っても、絶対に渡っちゃ駄目だよ」徹は言った。
 ゲラ、ゲラ、ゲラ
 ギャグを入れた徹の一言が周囲の笑いを誘った。
「そんなこと、お父さんに言われなくても分かっているわよ」春香の顔が興奮して赤くなった。
「野上さん、こちらで生ビールでもどうですか。祭典委員の中村さんが手を上げて徹を誘った。今日の中村さんはイベントを担当している。徹は中村さんから紙コップに入った生ビール受け取って喉に注ぎ込んだ。つまみに出された枝豆を食べながら、しばらく中村さんと歓談した。
「野上さんのお子さんはお1人でしたね」
「はい、そうです。今日は娘と妻の甥にあたる小学生の男の子を誘ってイベントに参加しています」
「そうですか。町内に住んでいる子供がだんだんと少なくなりました。結婚して町外に出て行った女の人はお盆ではなく夏祭りの時期になると、子供を連れて里帰りする人が多いんですよ」
「そうだったんですか。お祭りになると子供が増えてくるので不思議に思いましたが、その訳が分かりました」
 中村さんから言われて回りを見渡すと、確かに祖父母、娘、孫と思われる3世代の家族が何組かいる。向かいに住む藤田さん夫婦も隣町に嫁いだ娘さん、それと2人のお孫さんと一緒に金魚すくいにチャレンジしている。中村さんの話は続いた。
「最近、囃子方をやる町内の子供たちが少なくなって困っています。灯篭の担ぎ手のように町外から助っ人を呼ぶというわけにはいきませんからね」
「私の実家がある農村集落では、秋祭りの神輿を担ぐ若者がいなくなって今は行われていません」
「そうですか。こっちはまだいい方ですね。昨日、春香ちゃんが仁和加(にわか)に乗って太鼓を叩いていましたが、練習の成果が出ていましたよ」
「ありがとうございます。昨日は初めての本番だったので緊張して叩いていたようです。今日は昨日よりもうまく叩けると本人は言っていますが…」
「そうですか。春香ちゃんのようにお祭り好きな子供たちがいると助かります」
(作:橘 左京)

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