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小説「視線」(第1回)

2017年2月10日ニュース

 男の家は大通りに面した日当たり良好な南向きに建っている。この家に住んでいるのは男と妻の2人だ。この家で夫婦二人きりの生活になってかれこれ5年になる。2人の娘は結婚を機に家を出た。結婚して隣町に住む上の娘が土曜日に仕事が入ると小学生と幼稚園児の2人の孫を男の家に預けに来る。男は今年3月 、40年余り勤めた大手自動車会社の製造工場を定年退職した。会社から退職後の再雇用や再就職先の話もあったが男は丁重に断った。悠々自適な生活を楽しみたいと考えたからだ。

 男は東北地方の寒村に生まれた。農家の後継ぎになる長男は実家に残り、男は地元の工業高校を卒業した後、関東地方にある自動車会社の製造工場に集団就職した。男が卒業した高校からは数人が同じ工場に就職したが、定年まで勤め上げたのは男1人だけだった。男は戦後生まれの第一次ベビーブーム世代だ。男が就職した昭和40年代の日本経済は高度成長期に入っていた。当時、地方の農村部にいた若者(男子)は農業以外に就業の機会が与えられていない地元を離れて、新たな就業先を求めて都会へと流れていった。一方、対米輸出の拡大を目論んだ自動車や電器機器などの輸出産業は工場労働者として若い人材を求めていた。当時、地方にいた若者(男子)は「金の卵」と呼ばれ、たくさんの若年労働力を求めていた製造工場では、彼らの争奪戦が繰り広げられた。なかでも工業高校を出た新卒の男子は即戦力としての活躍が期待され、どこのメーカでも引っ張りだこだった。「数は力なり」第一次ベビーブーム世代の彼ら彼女らは人口ピラミッドの中で大きな塊を形成していることから「団塊の世代」とも呼ばれている。団塊の世代は豊富な労働者となってモノやサービスの大量生産に携わり、同時に消費者となってモノやサービスの大量消費に参加して高度成長期の日本経済を支えた。

 男が就職した当時の工場は昼間・準夜勤・夜勤の三交代の勤務体制が敷かれ、工場は24時間休むことなく稼働していた。男の労働時間は長時間、変則的だったため、家に居る時は、消耗した体に休息を与える時間に充てていた。2人の娘が家にいた頃は、たまに家族で外に出掛けたりすることもあったが、男にとって我が家は寝に帰る場所であり体に休息を与える場所でしかなかった。妻との出会いは、男が会社の独身寮に入っていた頃に遡る。当時、妻は独身寮の賄いをしていた。郷里が同じということもあって、男はこの女性と親しくなって交際を始めた。男はこの女性と知り合って5年後に結婚した。男は結婚すると独身寮から世帯用の社宅に移った。妻は寿退職して専業主婦になった。2人の間に子供が生まれ、子供が大きくなるにつれて社宅が手狭になったことから、勤務先の工場から7キロほど離れた場所に造成された新興住宅団地に車庫付きの一戸建て住宅を手に入れた。男が通勤に使う自家用車は、男が勤務する自社工場で製造している小型の大衆車だ。男が独身の頃は、会社が若者向けに開発したスポーツカーを乗り回していたが、結婚して子供ができてからは、大衆車に変更した。男はその車を運転して、毎日、勤務先の工場に通勤した。住宅と車の購入資金は、会社が従業員に提供する「福祉厚生」を利用して長期・低利のローンを組んだ。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者