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小説「強欲な町」(第5回)

2018年3月13日ニュース


[マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より]

「失礼します。市長、越中銀行の佐竹支店長さんがいらっしゃいました」
 市長室に入った日下部が一礼して言った。越中銀行田沼支店長の佐竹康夫は市長室に入るや否や、
「市長さまからは、日頃から当行をご利用いただき有難うございます。本日は公務ご多用のところ、お時間を頂いただきありがとうございます」と、店一番の上得意の井上に最敬礼の挨拶をした。
 井上は、「さお、どうぞ」と言って、佐竹に着座を促した。井上は肘掛椅子に座り、佐竹は井上の左側のソファーに座った。
 佐竹は、「市長さんからご購入いただいた投資信託『アメリカンキャピタル・アクティブ・ファンド』について、ご説明申し上げたく参りました」と言って、黒い営業鞄から資料を取り出して、テーブルに広げた。
 井上は市長に就任した翌年の平成21年に越中銀行から「アメリカンキャピタル・アクティブ・ファンド」を1億円で購入した。
「市長さまからご購入いただいた『アメリカンキャピタル・アクティブ・ファンド』の運用実績についてご説明申し上げます。このファンドの運用を担当しているのはグローバル・アドバンス・マネージメント株式会社です。グローバル・アドバンス・マネージメント社は1987年に日本に進出して以来、個人投資家や富裕層、機関投資家向けに投資信託や年金運用等の投資サービスを提供しております。ファンダメンタルズ情報と最新の運用テクノロジーを結合させることにより、一貫した投資哲学に基づく株式のアクティブ運用を行うとともに、債券、オルタナティヴ投資商品といった、幅広い投資家のニーズに応える高品質・高収益な運用商品を提供しております…」
「佐竹さん、前置きはそれくらいにして、私が買った投資信託は、リーマン・ショック後にどのような値動きをするのか教えてもらいたいんだが…」
「はい。市長さまからご購入いただいたファンドは、ほとんどはアメリカの株式を組み入れたものです。アメリカの株式市場の代表的な指数であるS&P500はリーマン・ショック後、下落すると思われます」
「S&P500?」
「ああ、失礼しました。S&P500は、S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスが算出・公表している株価指数のことで、アメリカ合衆国の証券取引所に上場された代表的な500銘柄で構成されています。日本の株式市場でいえば日経平均株価やTOPIXのような株価指標です」
「ということは、私の投資信託は今後、下がるということ?」
「S&P500などのインデックス(指数)の動きと連動した投資収益の達成を目指すパッシブ運用のファンドであれば、今後、下落するものと思われますが、市長さまからご購入いただいたファンドはアクティブ運用ですから…」
「『パッシブ運用』とか『アクティブ運用』とか難しい専門用語が出ましたが、何のことやらさっぱり分かりませんが…」
「失礼しました。『パッシブ運用』とは、株価指数などのインデックスに追随しながら、市場平均と同程度の運用成績を目標とした運用スタイルのことをいいます。一方、個別証券などの割高や割安等を運用者が判断して売買を行うアクティブ運用は、ベンチマークや市場平均を上回る運用成績(リターン)を上げることを目標とした運用スタイルのことをいいます。このアクティブ運用は更に2つに分けられます。1つは「トップダウンアプローチ」といって、経済や市場動向などマクロ的な投資環境の予測から始まり、資産配分や業種別配分を決めて…」
「佐竹さん、さっきも言ったように、私が持っている1億円の投資信託は今後、どういった値動きをするんですか?」
「元々過熱気味だったアメリカの株式市場は、リーマン・ショックを受けて、下落基調に転じるものと思われます。しかし、市長さまからご購入いただいたファンドは、アメリカの株式市場とは別の値動きになると思われます」
「それは分かりしたが、私が持っている1億円の投資信託は上がるんですか、下がるんですか、それとも横ばい状態になるんでしょうか?」
 井上はいらいらしながら、佐竹に尋ねた。
「はい。今ほど申し上げたとおり、運用者であるファンドマネージャーやアナリストの調査・分析結果に依るので、現状では何とも申し上げられません」
「それじゃ、答えになっていないじゃないですか!もう、いいですよ!」
 井上はうんざりした顔つきで言った。
「申し訳ございません。市長さまからご購入いただいたファンドにつきましては、随時、ご報告申し上げます」
 佐竹は、テーブルに広げた資料を素早く鞄に仕舞い込んで、さっさと市長室を後にした。
(作:橘 左京)

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小説「強欲な町」(第4回)

2018年3月11日ニュース


[マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より]

 数日後、森田由美子が田沼市役所に井上市長を訪ねた。
「失礼します。市長、森田さんという女性の方が市長と面会したいといらっしゃいましたが…」
 市長室に入った総務部総務課秘書係長の日下部俊夫が一礼して言った。
「森田?ああ、分かった。日下部君、この後の日程はどうなっていたかね?」
「はい。午後1時半から、長谷川理事長さんとの面談が入っていますが、午前中は特に予定は入っていません」
「そうか。森田さんを部屋にお通して」
「はい、承知しました」
「失礼します」
 黒の上着とスカートを穿いた森田は、一礼して市長室に入った。森田が市長室に入るのを確認した日下部は市長室のドアを静かに閉めた。
「井上市長さん、本日はお忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます。先日、奥様からご連絡をいただき、市長さんからご契約いただいた『トリプル・リターン』について、ご説明申し上げたく伺いしました」
「さー、どうぞ」井上は森田に着座を促した。
 コの字型に配置されたソファーの肘掛け椅子に井上が座って、井上の右側のソファーに森田が座った。森田は黒い営業鞄から書類を取り出して、説明を始めた。
「市長様からご契約いただいた『トリプル・リターン』は、日本株式と外国株式をそれぞれ50%ずつ組み入れた資産で運用されています。外国株式の大部分はアメリカの株式ですが、今回のリーマン・ブラザーズの経営破綻が金融市場に与える影響は限定的と考えています。リーマンの身売り先の交渉にあたって、アメリカ政府当局は仲介の労をとっていますが、一民間企業の経営問題として片づけ、最終的には公的資金の注入を拒否しました」
 傍らで森田の話を聞いていた井上は、かつて「四大証券」の一角にあった山一證券の経営破綻を思い出した。不正会計(損失隠し)事件を起こした山一證券は、事件後、政府による資金注入を受けることなく経営破綻し、平成9年11月24日に廃業した。森田は話を続けた。
「市長様から買って頂いた『トリプル・リターン』は長期の運用で高いリターンを得ることを目的に販売された商品です。この資料をご覧ください」
 森田は鞄から『トリプル・リターン』の月次運用レポートを取り出した。過去10年間の運用実績の推移グラフが表示されたページを開いて井上の前に示した。
「この資料を見てお分かり頂けると思いますが、『トリプル・リターン』が販売された平成10年の運用資産(投資信託)の基準価格を100とすれば、平成20年の価格が300になっています。100から300ですから、運用資産の価格が『トリプル』つまりは3倍に増えたことになります…」
「森田さん、この資料、同じ向きで見た方がいいね。あなたも説明し易いでしょう」
 井上は肘掛椅子からソファーに移って森田の左横に腰を寄せた。井上の右腕は森田の腰を絡めた、左手は森田の太腿に伸びた。
 資料に目を落としていた森田は顔を井上に向けて、
「市長さん、いけませんわ。場所が違います」
 太腿に触れた井上の左手を右手で追い払うようして言った。
「そうだね、由美ちゃん。この話の続きは二人きりになれる静かな場所で聞かせてもらうよ」
 井上と森田は井上が富山県職員時代の上司と部下の関係であった。
(作:橘 左京)

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小説「強欲な町」(第3回)

2018年3月9日ニュース


[マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より]

 9月16日付けの富山毎日新聞の一面には「リーマン・ブラザースが経営破綻!負債総額、約6000億ドル(約64兆円)!米金融市場がマヒ、世界的金融危機に発展か!」という見出しで、次の記事が掲載された。
 米証券4位のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが9月15日に米連邦破産法の適用を申請した。リーマン・ブラザーズは、破綻の前日までアメリカ合衆国財務省や連邦準備制度理事会(FRB)の仲介の下でHSBCホールディングスなど複数の金融機関と売却の交渉を行っていたが、米政府が公的資金の注入を拒否していたことから身売り交渉は不調に終わった。
 リーマン・ブラザーズが経営破綻した2008年(平成20年)9月15日(月)は、日本では敬老の日で休日だった。リーマンの経営破綻は取引が始まった翌日16日の東京株式市場に影響が出た。その日の日経平均の終値は前日比605円4銭円安の11,609円72銭で、下落率は4.9%。1日の下落率としては歴代の20位にも入っていなかったが、これが歴史的な暴落の始まりとなった。

「大丈夫かな?」
 リーマン・ブラザースの経営破綻を報じた富山毎日新聞を読んでいた田沼市長の井上将司は呟いた。
「大丈夫かなって、あなた、一体何のことですか?」
 朝の食卓で、井上と向かい合わせに座っている妻の君子が尋ねた。
「私が入っている保険のことだよ。君の友人で、保険の外交員をやっている森田さんね」
「全国生命の森田由美子さんのことですか?その森田さんがどうかしましたか?」
「森田さんから勧められて入った生命保険って、確か変額保険だったよね」
「はい、そうですが。それがどうかしましたか?」
「変額保険って、元本割れのリスクがある保険じゃなかった?」
「確かに、運用成績が悪いと、満期に受け取る保険金は基本保険金の1億円を下回ることもありますが、死亡した場合に受け取る保険金の方は1億円が保証されているので、大丈夫ですよ。逆に、運用が良ければ1億円以上の保険金が支払われますが…」
「私が死んだ場合の保険金を受け取るのは、君だろう?」
「はい、受取人は私になっていますから、そういうことになりますが…」
「そんなことは分かっているよ。私が心配しているのは、満期になった10年後に私が受け取る保険金のことだよ。森田さんに勧められ、日本と外国の株式で運用するタイプを選んだけど、リーマン・ショックの影響で運用成績が落ちてくるんじゃないかと心配しているんだよ」
「今、森田さんから勧められて入ったとおっしゃいましたが、『ハイリスク・ハイリターン』の商品を選んだのは、他でもないあなたご自身じゃなかったですか?」
「確かに、長期に亘って運用すればリスク以上に大きなリターンが得られると言われ『トリプル・リターン』を選んだのは私だが…」
 変額保険は、顧客から預かった保険料(資産)を主に株式や債券などの有価証券に投資し、資産の運用実績に応じて、受け取る保険金額が変動する金融商品だ。運用が良ければ受け取る保険金が増え、悪ければ保険金が減る仕組みになっている。しかし被保険者が死亡した場合に受け取る保険金は、運用実績が悪くても契約時にあらかじめ決めた基本保険金が支払われる。
 一方、運用が好調な場合は基本保険金額を上回る死亡保険金を受け取ることができる。運用実績に関係なく保険金額が保証されている定額保険と違って、変額保険の運用リスクは契約者自身が負うことになっている。日本では、保険審議会の答申を受けて、昭和61年10月から、生保最大手の「全国生命」が初めて変額保険を発売したのを機に、順次、他の生保も変額保険の販売を始めた。
 井上が契約した変額保険は、死亡・高度障害保険金(基本保険金)を1億円として、保険料は年払いで200万円に設定された全国生命の主力商品「トリプル・リターン」だ。
(作:橘 左京)

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小説「強欲な町」(第2回)

2018年3月7日ニュース


[マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より]

「私ですか?私の場合、国債で運用しているので、所長や野上さんが持っている投資信託のように元本割れの心配はありません」
「国債って、個人向け国債ですか?」
「はい、変動金利の10年満期の国債です」
「変動金利ですか。一般的には、株価が下がると金利が上昇し、反対に株価が上昇すると金利が下がるといわれています。日経平均株価の動きに注意を払った方がいいと思いますよ。また金利は為替と密接に関係しています」
「金利が為替と関係があるって、どういうことですか?」佐久間が甘木に尋ねた。
「分かりやすく説明すると、まず、為替相場が円高になった場合を考えてみましょう。円高というのは、外国の通貨と比較して円の価値が高くなるという意味なので、円高になれば外国製品がたくさん買えることになります。石油、食料品、原材料など海外から輸入している製品が安く買えることになるので物価は下がります。物価が下落すれば金利は低下します。従って、為替相場が円高に動けば金利は低下してきます。反対に、為替相場が円安になると、輸入品の値段が高くなるので、日本国内の物価は上昇します。円安というのは、円の価値が下がるという意味なので、円安になれば海外製品が少ししか買えなくなります。その結果、物価が上昇し、連動して金利も上昇します。従って、為替が円安に向かえば金利は上昇します。また、日本と外国との金利差も日本の金利に影響を与えます。ここでいう金利は政策金利のことを指しますが…」
「今、所長がおしゃった政策金利って何ですか?」佐久間が甘木に尋ねた。
「政策金利は、各国の中央銀行が普通銀行に対して融資をする際の金利のことです。日本と外国とで金利差があると、二国間でお金が移動したり、為替が変動するからです。例えば、日本とアメリカの金利差が拡大したケースを考えてみます。日本の金利が下がって、アメリカの金利が上がった場合、日本の金融商品に投資するよりもアメリカの金融商品に投資した方が有利ですよね。なので、円をドルに換えてアメリアの金融商品を買おうと円売り・ドル買いが進みます。アメリカに向かって日本から、どんどんお金が出て行くので、ドル高・円安がなります。では反対に、アメリカの金利が下がって日本の金利が上がった場合はどうでしょうか。この場合、日本の金融商品に投資した方が有利になりますから、ドルを円に換えて日本の金融商品を買おうと円買い・ドル売りが進みます。このように、アメリカからどんどん日本にお金が入ってくるようになり、円高・ドル安になっていくのです」
 甘木が自信ありげに答えた。
「ということは、私が持っている国債は、半年ごとに金利が変動するタイプなので、為替の動きにも注意しないといけないってことですね」佐久間が言った。
「そういうことになりますね。お金は国境を越えて移動していますので、国内だけでなく、海外の経済の動きにも注視する必要がありますね」甘木が話を締めくくった。
「佐久間さん、コスモスの花って、ピンク色だけかと思ったけど、赤や白、黄、オレンジと様々な色があるんですね」佐久間が先ほど、花瓶に活けたコスモスを見ながら野上が言った。
「そうなんです。コスモスは秋桜という別名もありますが、花びらの色が桜のようにピンク色だけじゃないんですよ」佐久間が笑顔で答えた。
「『乙女の真心』、『乙女の愛情』でしたね」色とりどりのコスモスを眺めながら甘木が言った。
「所長、それって、コスモスの花言葉ですか?」野上が尋ねた。
「当たり!清純な佐久間さんのイメージにぴったりな花ですね」
 野上の言葉を受けて佐久間は頬をほのかに紅潮させた。
(作:橘 左京)

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小説「強欲な町」(第1回)

2018年3月5日ニュース


[マモン コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』より]

第1章 リーマン・ショック(その1)

「所長、今朝の新聞、ご覧になりましたか?」
 野上敏夫が甘木雄一に富山毎日新聞の一面を見せながら言った。
「ああ、これね。リーマン・ブラザースの経営破綻でしょう?」
「そうです。今後、日本の金融市場にも影響が出てくるんでしょうか?『アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく』って、よく言われていますけど…」
「名目GDP(国内総生産)が世界第1位のアメリカと第2位の日本との経済関係を考えれば、そういう見方もできるけど、現時点では何とも言えないね。むしろ大きな影響が出るとすれば、アメリカ市場への貿易依存度が日本よりも高い中国の方じゃないだろうか?GDP3位の中国が日本を追い抜いて第2位になるのも時間の問題だからね」
「今日から始まる東京株式市場がどのような反応を示すか気になるところですが…。ところで、所長は株式投資とかはおやりになっているんですか?」野上が尋ねた。
「株は持っていないけど、投資信託は3本持っているよ。いずれも外国の株式や債券で運用しているファンドだから、株価・金利・為替の動向を注視しないとね。野上君も投資信託とかで資産運用しているの?」甘木が尋ねた。
「私ですか?私も投資信託を2本持っていますが、運用先が日本株中心のファンドなので、リーマン・ショックの影響はないと思いますが…」
「問題は為替相場の動向だね。リーマン・ショックの影響で、為替が円安・ドル高に向かえば、自動車・電子機器など外需・輸出型企業の株価は上がってくるし、逆に円高・ドル安に動けば、外需・輸出型企業の株価は下がり、電力、ガス、化学などの内需・輸入型企業の株価は上がってくる。野上君が持っている日本株ファンドに組み入れられている株式は、輸出型と輸入型のどっちの比率が大きいの?」
「私の持っているファンドは、日経平均株価の動きに連動したインデックス型です」
「そうですか。日経平均株価はニューヨークダウ平均株価の影響を受けやすいから、ニューヨークダウ平均の動きにも注意した方がいいね。佐久間さんの方は大丈夫ですか?」
(作:橘 左京)

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小説「廃屋の町」(第132回)

2018年1月14日ニュース

「私はあの山の事故以来、甘木雄一として人生を送ってきました。しかし、二年前に田沼市に帰ってきてからは、野上治夫が時々、私の心の中に現れるようになりました。治夫は、父親であるあなたに憎しみを抱きながら生きてきました。あなたの身勝手、無責任な行いで人生を狂わされ亡くなった母や妹の気持を思うと、あなたに対する憎悪が一層、強くなっていました。風間さんとこの家を訪ねる前に、何度かこの家の前を車で通ったことがありました。野上治夫に戻って、玄関の戸を開けたいという思いに駆られたこともありました。しかし、野上治夫は30年目に山の事故で亡くなって、母や妹と同じように彼岸にいます。あなたに抱いている憎しみがどれほど大きくても、彼岸にいる3人はその気持ちをあなたに伝えることはできません」
「彼岸にいる3人?治夫は彼岸にいるということかね?それでは、今、ここで私と向き合っているあんたは誰だね?」
「甘木雄一です。先ほど、私の位牌に焼香したことによって、私は野上治夫の人格を捨てることができました。田沼市長の甘木雄一からすれば、あなたは一人の善良なる市民であり、あなたに対して、特別な感情はありません」
「そうか。では、此岸にいる私は、彼岸にいる妻の聡子、息子の治夫、娘の洋子に犯した罪をどのようにして償えばいいんだろうか?」
「それは、野上さん自身が考えることです。私が申し上げる話ではありません。市長として、これから私がやらなければならないことがあります。本来、公益に奉仕すべき公務員が、その職責を忘れ、私益に奉仕せざるを得ない状況を正すことです。この地域には旧態依然とした悪弊が風土病のように根付いています。この悪弊を断ち切らなければ、田沼市の未来は切り開けないと考えています。いつの時代も、未来を開拓するのは子供たちです。私は、田沼市を子供たちが夢や希望を抱けるような町にしたいと考えています」
「甘木さん、あなたはお爺さんにそっくりだ。甘木富雄市長が就任した直後に長野県北部地震が発生しました。復旧・復興に向けた多額の予算が国から被災地につぎ込まれ、それが特需となって地元の建設産業を潤したわけですが、その一方で、市から提供された入札情報をもとに入札談合が公然と行われていました。甘木市長は、4年間の市政運営の中で一番に取り組んだのが入札改革でした。談合体質の入札にメスを入れ、競争原理が働く公正公平な入札に改革しようと尽力されましたが、それを阻止したのが建設業界です。改革半ばで、甘木市長は抵抗勢力の権謀術数によって再選を阻まれたんです。公益に奉仕する立場にありながら職を汚してしまった私が言うことではないかもしれませんが、今度は、孫のあなたが亡くなったお爺さんの遺志を汲んで改革を成し遂げて欲しいと思っています」
 野上は畳に両手をついて頭を下げた。田沼市長甘木雄一は、もう二度と帰ってくることのない我が家に別れを告げ、野上の家を後にした。野上昭一は家族の霊を弔うために、四国巡礼の旅に出た。家を処分して旅に出た野上には戻って来る我が家はない。(了)
(作:橘 左京)

【お知らせ】
 ●長い間のご愛読を感謝申し上げます。小説「廃屋の町」は、編集作業を経た後、5月に文芸社より全国出版されます。
 ~真実は内側・裏側・後ろ側にある!元市長が明かす闇に隠れた不都合な真実
 厳冬期の剣岳「野上、俺に代わって生きてくれ!」
 市長選を間近に発覚した市立病院建設工事の官製談合疑惑 リークした市職員を粛清!
 「死人に口無しだよ」30年前の談合事件から浮かび上がる冤罪の可能性~
 ●2月からは、小説「強欲な町」を連載します。

posted by 地域政党 日本新生 管理者

小説「廃屋の町」(第131回)

2018年1月12日ニュース

 市長選挙が終わって数日後、田沼市長の甘木雄一は野上昭一の家を訪ねた。甘木は建て付けの悪い玄関の引き戸を、ギー、ギー、ギーと、音を上げながら開けた。
「ごめんください」
 しばらく経って、奥から「どちらさまですか?」と男の声が聞こえた。
「田沼市長の甘木雄一です」
「甘木雄一?違うよ!あんたは野上治夫だろう?お前が来るのを待っていたよ」
 黒猫を抱いた野上が玄関に現れた。真っ黒に日焼けした顔をした野上治夫は父の昭一に向かって、「私が治夫だってことをお父さんは知っていたんですね。今日は当選の挨拶に伺いました」と言った。
「そうか。おめでとう、治夫。ここはお前の生まれた家だ。さあ、上がりなさい!」
「はい」
 治夫はミシミシと音を立てながら、昭一の後に続いて廊下を歩いた。通された六畳間の中央には座卓が置かれ、片隅に仏壇が据えられていた。
「今日は、お母さんと洋子の命日でしたね。二人に焼香させてもらってよろしいですか?」
「命日?ああ、そうだったか!」昭一は悲しげな表情を浮かべた。
 治夫は焼香台の手前に進み二人の遺影に向かって一礼した後、3回焼香し合掌した。
「聡子も洋子も草葉の陰で喜んでいることだろう」
 昭一は茶葉を入れた急須に湯を注いだ後、お茶の入った湯呑を治夫に差し出した。治夫は左手で湯呑を受けて言った。
「いつか、この日が来るんじゃないかって思っていました」
「私が消息を絶ってから、最初にお前に会った日のことを覚えているかい?」
「もちろん覚えています。もう30年も昔の話ですが、私が城南大学の夜間部に在籍していた時だったと思います。お父さんは上野駅の地下通路で私に声を掛けましたね?」
「ああ、忘れもしないあの時だ。正直、びっくりしたよ。あんなところで、お前と再開するとは思ってもみなかった。あの時、私がお前たち家族を見捨てたことを詫びるつもりだったんだが、お前は私の手を振り切って逃げるようにその場を立ち去ったね」
「すみません。剣岳の冬季登攀を計画していた私は、上野駅発富山行きの急行能登に乗るために急いでいました」
「一緒にいた人は甘木雄一さんだろう?」
「そうです。二人で冬の剣岳登頂を目指して登攀していましたが、山頂を目前にして、甘木君は滑落し亡くなりました。彼は私に、甘木雄一として人生を送ってくれと言い残して、私と繋がっているザイルを自分で切って谷底に落ちていきました。あの時から、これまで私は甘木雄一として生きてきました」
「今年2月頃だったが、お前は風間さんという方とこの家を訪ねて来たね。自分の素性が暴露されるかもしれないのに、どうして、ここを訪ねてきたんだね?」
「上野駅の地下通路で、偶然にもお父さんと出会った時に、お父さんは『私の話を聞いてくれないか?』って言ましたね?あの時、私に何を言いたかったのか、それを確かめたかったからです。風間君とこの家を訪ねたあの日、お父さんは、私が野上治夫だってことに気付いたんじゃないですか?」
「そのとおり。お前が息子の治夫だと確信したのは、治夫の遺影を見て口にした言葉だよ。治夫の遺影が別山尾根経路で登頂した剣岳山頂で撮った写真であることや、左手でVサインを出した治夫の写真を撮ったのが父親である私だということ、治夫本人でなければ分からないことを私の前で話した。一緒にいた風間さんは気付いていなかったようだが、私は、あんたが治夫本人に間違いないと思ったよ。もっとも治夫と同じ左利きであることは、私が向けた湯呑を左手で受けた時に気付いたけどね。あの場では、お前が治夫本人であることを質すことはできなかった。お前が甘木雄一さんに成り済ましていることが明らかになれば、山岳事故で亡くなった甘木雄一さんの遺志を継いで生きてきたお前の人生が台無しになるからね。市長当選だって無効になるかも知れない。嘘の立候補届けをしたことになるからね。当選無効になれば、お前の人生を二度狂わせたことになる。そんなことはできない。治夫、あんたは家族を捨てた私を、今でも恨んでいるだろう?」
(作:橘 左京)

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小説「廃屋の町」(第130回)

2018年1月10日ニュース

 17日から始まった選挙戦は23日に終わった。また18日から始まった期日前投票も22日に終了した。
 24日の日曜日。午前7時から市内70か所の投票所で投票が始まった。甘木雄一は入場券を持って、妻の美由紀、娘の春香と一緒に近くの投票所に出掛けた。甘木の家族が投票所に入ると、受付窓口に作業服を着た数人の若者が並んでいた。受付担当の市役所職員が首を傾げながら入場券と選挙人登録名簿をチェックしていた。作業服で投票所に来るなんて、日曜日でも仕事が入っているんだろうか、と甘木は思った。
 投票を済ませた甘木は家族3人で、自宅近くのレストランに出掛け食事をした。
「あなた、一週間、お疲れ様でした」妻の美由紀が雄一に労いの言葉を掛けた。
「君こそ、留守中、苦労を掛けたね」雄一が言った。
「お父さんの顔が日に焼けて真っ黒よ。お父さんは絶対に当選するわよ!私、昨日の夜、お父さんが当選して万歳している夢を見たわ!」春香が笑って言った。
「ありがとう!春香。お父さん、嬉しいよ!」雄一は春香の言葉に勝利を予感した。
 家族との食事を済ませた雄一は午後から事務所に出掛けた。事務所では風間と久保田が開票結果を待つ会場づくりを始めていた。
「ご苦労さまです」
 甘木も会場づくりを手伝った。中央の神棚に向かって右側に子育てグループからプレゼントされた必勝千羽鶴が飾られた。
 午後8時、市内の70か所で行われた投票が終了した。投票箱は施錠され市の中央体育館に運ばれた。午後9時、最初に期日前投票の投票箱が開錠された。開錠され投票箱から投票用紙が取り出され、色分けされたコンテナ箱に仕分けされていった。
 午後9時、甘木は事務所に入った。家では美由紀と春香が吉報を待っている。事務所には風間、久保田など同級生50人程が集まって開票結果を見守った。
「中央体育館で開票状況を見守っている小島からの連絡では、期日前投票は井上陣営が得票数を伸ばしているそうだ」選対本部長の風間が言った。
「ええ!」事務所内に動揺が走った。
「大丈夫かしら?」久保田が心配そうに言った。
「大丈夫だよ。期日前投票は業界団体や宗教団体などの組織票が多い。こういう展開になることは最初から分かっていたよ。想定内だ」風間は落ち着いた様子で答えた。
 最初リードしていた井上陣営の得票数であったが、投票日当日の開票作業が始まると二人の票差が徐々に縮まってきた。事務所の時計は午後11時を回っていた。
 午後11時半過ぎ、「田沼市長選挙 甘木雄一氏当選確実」のテロップがテレビに流れた。
「万歳!万歳!」選挙事務所の中は拍手喝采に包まれた。一時間後、二人の得票数が確定した。
 甘木雄一 32432票 当選
 井上将司 31675票
 票差が757票と僅差での勝利だった。事務所の時計は25日午前零時半を回っていた。
「甘木、当選おめでとう。頑張ったね。市長選勝利はゴールではなくスタートだ。気を付けるんだ。君の行く先は魑魅魍魎が住む伏魔殿だ。君の掲げる市政改革を阻止しようと、手ぐすね引いて待ち構えている輩がいる」たぬま新報編集長の高橋が言った。
 翌日、長野県警捜査二課と田沼署は、公職選挙法違反の買収(供応接待)容疑で、井上事務所と建設業協会事務所など、関係先の家宅捜査を行った。
(作:橘 左京)

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小説「廃屋の町」(第129回)

2018年1月8日ニュース

 甘木を乗せた選挙カーは、午前8時から午後8時までの12時間稼働し、市内を隈なく細かく回った。甘木は随所に街頭演説を入れた。街頭演説では、お年寄りに優しい安心して暮らせるまちづくり、寂れてしまった農村集落や住宅街に子育て世帯を呼び込み賑やかなまちづくりを訴えた。また昨年8月下旬に田沼市を襲った台風による農業被害を取り上げて被害農家への市の救済措置が不十分だった点や選挙告示日前に予定されていた田沼市青年会議所主催の市長選挙公開討論会が井上陣営の一方的な参加拒否によって中止になったことについても言及した。
 庭仕事の傍ら手を振るおじいさん、家の中から手を振るおばあさん、田んぼ仕事や畑仕事の傍ら手を振る農家の人たち、幼児を抱きかかえながら手を振る子育て中の女性、散歩中に手を振ってくれた幼稚園児たち、歩道を走りながら手を振ってくれた小学生たち、ヘッドライトを点滅させて合図をする対向車線を走る車の運転手、甘木は確かな手ごたえを感じていた。
 一方の井上は、遠山選対部長の指示を受けて告示日の翌日から建設会社を中心に市内の事業所回りを始めた。告示日翌日から始まる期日前投票による票を集めるためだ。井上と建設業協会事務局長の佐々木健一を乗せた車が市内の建設会社を巡回した。石井組の事務所に着いた二人を社長の石井伸晃が出迎えた。
「ご苦労さまです。さあ、どうぞ、こちらに」石井は二人を社長室に招き入れた。
「昨日は石井社長さんはじめ社員の方から休日にもかかわらず出陣式にご出席をいただきありがとうございました。期日前投票が始まる今日から事業所回りを始めています。社員の方に期日前投票に行ってもらいたくお願いにまいりました。これは出陣式と期日前投票の足代ですのでお受け取り下さい」
 佐々木は現金の入った茶封筒を石井に差し出した。
「分かりました。わたしから社員にお願いしてみます」石井はすぐさま茶封筒を胸ポケットに入れた。
「先月、協会から届いた文書に、今年度ウチに発注する市の公共工事が載っていましたが、あれはほんとうなんですか?」石井が佐々木に尋ねた。
「もちろんほんとうです。私が市長になれば石井さんのところでやってもらう仕事ですよ」
 井上は答えた。
「分かりました。会社挙げて井上市長を応援します」石井は答えた。
「よろしく、お願いします」井上は石井に頭を下げた。
(作:橘 左京)

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小説「廃屋の町」(第128回)

2018年1月6日ニュース

 井上陣営は瓢箪池の大駐車場を出陣式の会場に選んだ。出陣式の会場には地元選出の国会議員、県議会議員、周辺市町村長など御歴歴を乗せた黒塗りの公用車が集まった。近くの八幡神社で必勝祈願を終えた井上は山田県議や出陣式に出席した御歴歴の挨拶を終えた後、壇上に上がって、集まった300人余りの聴衆を前に第一声を上げた。
「本日、石黒先生はじめ国会議員の先生方、地元田沼市選出の山田県議さん、また戸板市長はじめ周辺市町村長さん、市内経済団体代表の皆さんからは、早朝より、私こと、井上将司の出陣式にご臨席を賜りまして感謝を申し上げます。先ほどご挨拶をいただいた石黒先生から、行政は継続が大事だというお話がありました。3期目は市立病院の民営化で始まって新病院の建設で終わった4年間でした。新病院の建設によって田沼市の医療環境は整備されましたが、一方で、生活環境に関わるインフラ整備や産業基盤に関わるインフラ整備が立ち遅れております。継続こそ力なり、新田沼市を更に飛躍させるため、皆さま方の特段のご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます!」
 パチ、パチ、パチ。スーツ姿の参加者や作業着を着た建設会社の社員らから拍手が上がった。
 選挙カーに乗った井上は集まった参加者に手を振って応える。ウグイス嬢の声が周囲に響き渡る。
「市長候補の井上、井上将司でございます。市政は継続が大事!市政の更なる飛躍を目指します。市長には井上、井上将司に清き一票をよろしくお願いします!」
「市長候補の井上、井上将司でございます。市長としての12年間の実績が光ります!市長には井上、井上将司に清き一票をよろしくお願いします!」
「市長候補の井上、井上将司でございます。まだまだ足りないインフラ整備。井上将司はしっかり取り組んでいきます。市長には井上、井上将司に清き一票をよろしくお願いします!」
 翌日18日、地元紙「長野日刊新聞」に、「田沼市長選スタート 現職と新人よる一騎打ち 現市政の継続か市政転換か」という見出しで田沼市長選挙の記事が掲載された。
(作:橘 左京)

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