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選挙戦を終えて5(市長戦短信Vol.22)

2020年4月25日ニュース

 天野代表の著書「廃屋の町」のラストシーン
 ~主人公(田沼市長の甘木雄一こと野上治夫)が生家で父の昭一と再開する場面

 「市長として、これから私がやらなければならないことがあります。本来、公益に奉仕すべき公務員が、その職責を忘れ、私益に奉仕せざるを得ない状況を正すことです。この地域には旧態依然とした悪弊が風土病のように根付いています。この悪弊を断ち切らなければ、田沼市の未来は切り開けないと考えています。いつの時代も、未来を開拓するのは子供たちです。私は、田沼市を子供たちが夢や希望を抱けるような町にしたいと思っています」
 ※小説「廃屋の町」の基になったブログはこちら

 シリーズ「選挙戦を終えて」は4号で閉じる予定でしたが、読者からの問い合わせがあり、急きょ5号を掲載することになりました。読者からの問い合わせとは、「兄である市栄氏の阿賀野市長選挙への出馬に対して、天野氏の実弟で現阿賀野市議会議員のM.A氏はどのような形で兄の市栄氏に選挙協力をしたのか聞きたい」という内容でした。
 
 この問い合わせについて、天野代表から直接伺った話としてお伝えします。
 最初に結論から申し上げます。
 「兄(市栄氏)の選挙には邪魔しないが協力はしない!協力すれば(H県議)潰される」
 ということでした。

 天野代表の実弟M.A氏は、2012年10月に行われた阿賀野市議会議員で初当選しました。現職だった市栄氏は同年4月に行われた阿賀野市長選に立候補しましたが、結果は落選。詳しくはこちら
 
 4月の市長選で敗れた市栄氏は実弟のM.A氏に地盤(票田)を譲り、同年10月に行われた市議会議員選挙でM.A氏を初当選させ、市議会に送り込ませました。市栄氏の地盤は自身の出身地である(実家のある)旧笹神地区(神山)でした。市栄氏の支持者の多くは阿賀野市選挙区(1人区)選出の自民党のH県議に批判的立場の有権者でした。なぜなら市栄氏が初当選した時の対立候補(K.T氏)を支援したのが、ほかでもないH県議だったからです!

 少数与党(親市長派、野党系市議)でスタートした天野市政は、多数野党(反市長派、自民党H県議系市議)が占める市議会において、議会対策に腐心します。前市政の開発構想「道の駅」を中止したことによる後始末と、前市政から引き継いだ「市立病院の公設民営化」のいずれも、抵抗勢力(反市長派)によって阻まれたのです。週刊誌さながらの地元紙による報道で、天野市長(当時)と市議会との対立構造が強調・増幅され、市民(有権者)に伝わっていきます。

 天野市長と市議会との対立構造が際立って見えた場面がありました。天野氏が市長就任の翌年6月に行われたれ市議会定例会の時に受けた辞職勧告決議です。反市長派議員が多数を占める市議会で可決されました。(辞職勧告決議は不信任案とは異なり法的拘束力はない。)天野代表の著書「廃屋の町」の中でも触れていますが、反市長派議員の権謀術数によって天野氏は再選を阻まれたのです。

 このような事情から、市栄氏の支持者の多くはH県議に対し批判的立場の有権者でした。市栄氏の票田を受け継いだ実弟のM.A氏は、「皆さまの声を市政に届ける」ために、道路の補修など地元の要望について、写真を付けて要望書(文書)にして市役所の担当課(建設課)に届けたそうですが、通った要望もあれば、通らなかった要望もあったそうです。田中市長にとっては、政敵である天野市栄氏の実弟が持って来た要望に対し、多くは田中市長の裁量で不採択となったものと思われます。この時、M.A氏は政敵の実弟であることの悲哀を味わったに違いありません。

 そこで、M.A氏はH県議の後援会青年部長を務めるY市議(故人)が立ち上げた会派に入ったことで、H県議の配下になりました。M.A氏の地元(票田)から上げる要望(主に土木関係)も通りやすくなったものと思われます。前回、4年前の10月に行われた市議会議員選挙では、M.A氏の選挙事務所は、さながらH県議(自民党)系市議の事務所でした。H県議の「為書き」だけではなく、自民党のS衆議院議員(北信越)、自民党のS参議院議員(全国区)の為書きもあったそうです。

 また、M.A氏が再選を目指した4年前の阿賀野市議会議員選挙(本選)は、新潟県知事選挙と同時に実施されました(投開票日が同日)。H県議が自民党推薦で擁立した知事候補T.M氏(前新潟県長岡市長)をM.A氏の事務所に連れてきて、自民党系市議候補になったM.A氏と引き合わせエールを交換したそうです。実弟M.A氏の当選のため、自身の事務所を提供した上に、事務所番も務めた天野代表。実弟M.A氏は再選は果たしたものの、得票数は初当選した8年前の得票数には届きませんでした。実弟M.A氏の変節(国政野党から国政与党への転身)の影響でしょうか?。天野代表から引き継いだ反H県議票を捨て、親H県議票(建設業界など)を求めたことにより、差し引き計算をした結果、マイナスとなりました。

 市長選出馬のため、天野代表が実家のある周辺集落に挨拶回りをした時に、「弟さんが午前中に田中市長と挨拶回りに来たよ」と、支持者から報告を受けたという。また、天野代表が4月に行われる市長選(同時実施の市議補選)への出馬の意向を親戚筋に伝えていない段階で、出馬を決めたことに対し、実弟M.A氏から言われた次の言葉が忘れられないという。「親戚に筋を通した上で出馬を決めたのか」と。
※「筋を通す」とは、「首尾を一貫させること。また、道理にかなうこと」という意味。
 
 天野代表は「弟が指摘するように、順序が逆だったかもしれない。まずは親戚に相談してから、出馬するかどうか最終判断すべきだったかもしれない」と述べている。確かに天野代表が言うように、順番が逆(親戚に相談⇒自身の最終判断)だったもしれない。しかし、自民党H県議の支援を受けて当選を重ねている現市政の批判する声が増え、天野代表がその受け皿になりたいとの思いから、遅ればせながら市長選に出馬を決意した点では「筋が通っている」

 一方、実弟のM.A氏の方はどうであろうか。血縁関係(兄弟)にあるにもかかわらず、天野代表が出馬した市長選挙に一切協力しないだけでなく、一部妨害した点を考慮すれば、むしろ「筋が通っていない」のは実弟のM.A氏の方である。天野代表から聞いた話であるが、現在2期目の実弟M.A氏はもう1期、市議をやりたいとの意向だとか。

 天野代表は、今後の身の処し方については態度を明らかにしていないが、仮に10月の市議選に出馬すれば、「義を貫き通した兄と義を捨て利に走った弟の対決」となり、耳目を集めることになるだろう!いや、もう一つの仮定がある!仮に実弟のM.A氏が、「筋を通して」、実兄の市栄氏の選挙(市長選)に協力していればどうであったろう?結果はどうあれ、市栄氏は「筋を通して」、10月の市議本選には出馬しなかったかも知れない。(選挙参謀X)…今号で「選挙戦を終えて」を終了。次号から「選挙戦を振り返って」

posted by 地域政党 日本新生 管理者