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時局持論~諸行無常のなかで№2

2024年9月13日ニュース

  モノ言う前市議、闘う前市議「いちえい」

 第2号のテーマは「不信任決議その1」。兵庫県の斎藤元彦知事の疑惑や去就が耳目を集めている。マスコミでは斎藤知事によるパワハラや贈答品受領などについて7つの疑惑を挙げて、兵庫県議会に設置された百条委員会での審議の様子を伝えた。前回の知事選挙(2021年8月)では斎藤知事を推薦した自民党や日本維新の会のほか、他会派も斎藤知事に対して辞職の申し入れを行い、86人いる県議全員が斎藤知事に対して辞職を申し入れたことになる。兵庫県議会の9月定例会は9月19日から始まる(~10/23まで)。初日に斎藤知事に対する不信任案決議案が提出・可決される見通しが強くなっている。
 この件についての詳論は次号(第3号)譲ることとして、本号では「似て非なる」事例として、新潟県上越市の中川幹太市長の失言を巡る市議会の対応(辞職勧告決議、不信任決議)を取り上げたい。中川幹太氏は上越市義を2期務めた後、2021年10月に行われた上越市長選挙で初当選した。中川氏は市長に就任後に出席した経済関係団体との会合での発言が不適切として問題視され、その都度、謝罪する羽目になった。
 今回、上越市議会が問題視した中川市長の発言や市議会の対応は以下のとおり。(9月3日付け新潟日報から引用)
〇6月18日(市議会6月定例会一般質問に対する答弁)
 企業誘致の促進についての質問に答える中で、市内に工場を構える大手化学メーカーの名前を挙げて、「工場では高校を卒業程度のレベルの人が働いている。企業誘致で頭のいい人だけが来るわけではない」と発言。その後、撤回し謝罪。同時に問責決議案が提出されたが否決(賛成13,反対18)。
〇7月19日
 不適切発言の責任を取るため、自身の給料について5か月分全額をカットするための議案を市議会に提出したが全会一致で否決。同時に市長に対する辞職勧告決議案が提出され可決(賛成25、反対6)
〇7月24日
 市長、定例会見で進退表明は「お盆明けに」と説明
〇8月23日
 市長、定例会見で辞職しないことを表明。否決された給与減額5カ月分相当額は政界引退後、市に寄附すると説明
〇9月2日
 市議会9月定例会初日、市長に対する不信任決議案が提出され、議長を含む32人中、賛成11、反対21で否決

 上越市議会の一連の対応を見て、とんだ茶番劇を演じたと感じている。辞職勧告決議で止めておけばよいものの、不信任決議に持って行ったが、結果は否決。辞職勧告決議は市長に進退を委ねるもので法的な拘束力はないが、不信任決議の方は採択されると法的拘束力が生じる。不信任決議を受けた市長は10日以内に議会を解散することができるが、解散しなければ10日が経過した時点で自身が失職する。なぜ、辞職勧告決議案は可決されたが不信任決議案が否決されたのか。報道では、4月の市議選に当選したばかりの新人の心情(議会が解散されたら困る)をおもんぱかる、不信任決議案を提出したベテラン議員の発言を紹介している。
 両決議は採決結果だけでなく採決方法も異なった。辞職勧告決議は起立によって採決が行われ、議員個々の賛否が明らかになった。一方、不信任決議の方は無記名投票で行われたため、個々の議員の賛否が不明なままになっている。議員は市民を代表する立場にあり市民の声を市政に反映させる義務がある。市議会の場において賛否を表明しない議員の態度は市議会に対する市民との信頼関係を損ねるものだ。市民への説明責任を果たす上でも、自身の賛否を明らかにすべきだったと考える。
 中川市長の発言(失言)は道義的責任はあっても法的責任はない。中川氏の発言を政治家や市長としての立場(公職)で考えた場合、不適切な発言であったと考えている。道義的責任だけを追及するのであれば辞職勧告決議(法的な効果なし)で足りる。中川市長の発言に法的責任がない以上、不信任決議(法的効果あり)は必要ない。後は辞職勧告を受けた中川市長が自身の進退を考えるべき話である。この点、法的責任が問われている兵庫県の斎藤知事のケースとは全く異なる。今回の騒動は少数与党でスターした中川市政と多数野党で占められた市議会との確執が生んだ政局だ。不信任決議案が可決された場合の対抗措置として、中川市長が議会を解散する大義はあるが、議会を解散しないで自身の失職を選択する理由は全く見当たらない。不信任決議案が可決されれば最初に矛先を向けられるのは市議会の方である(議会解散)。それゆえに、議会解散を回避したいと考える議員が不信任案の反対に回った。私には上越市議会の対応は市民不在のドタバタ喜劇に見える。
音声その1  音声その2
(あとがき)
 私も市長在任中(2008.4~2012.4)、中川幹太上越市長と同様に、市議会から辞職勧告決議を受けたことがある。辞職勧告決議は、前市長時代(故本田富雄氏)に立ち上がった「道の駅開発構想」(大型公共事業)を中止したことを理由とするものだ。市長選挙(2008年4月)では「道の駅開発構想」が争点となり、私は中止、対立候補のT氏(前副市長)は推進の立場で選挙戦が展開された。私は「草の根」、一方のT氏は前市長の故本田氏と地元選挙区選出の自民党のH県議を後ろ盾にした「組織戦」で臨んだが、結果は私が当選。私が市長選で「道の駅開発構想」の中止(白紙に戻す。)を有権者に訴えた理由は、市財政の悪化と市立病院(現あがの市民病院)の救急医療崩壊があったからである。優先すべき市政課題は財政の健全化と救急医療の復活である、と考えたからである。
 市長に当選後の市議会は少数与党でスタートしたため、市議会運営には大変苦慮した。市議会ではH県議配下の市議が過半数を占め、「道の駅開発構想」を反故にされた腹いせにと、数を武器に、事あるごと(市議会が開催されるたびに)に私に刃を向けてきた。そのクライマックスシーンが辞職勧告決議であった。決議案の内容・理由は、行政の継続性を理由に「道の駅開発構想中止」の撤回を求めてきたのだ。既に選挙で民意が示されたにもかかわらず、業界の利益最大化を常に意識して行動するH県議(政治屋)の意を受けた市議らによって可決された。明らかに政局を意識した市議会の動きだ。そういう意味で、今回の上越市議会の対応と瓜二つ。当時を振り返ると、市長だった私を辞職に追い込んで、自分達の要求を丸のみする傀儡政権を打ち立てる構想があったのかもしれない。しかし、なぜか不信任決議案の提出は無かった。可決に必要な4分の3以上の数を確保できなかったことと、仮に可決できたとしても対抗措置として行われる議会解散が怖かったからではないかと考えている。なお、市長と市議会の確執を興味本位に伝える地元紙の態度も酷似している。中川上越市長にエールを送りたい。「市議会の抵抗勢力に屈することなく信念を貫いてほしい!頑張れ、中川!」
音声その3

posted by 地域政党 日本新生 管理者