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阿賀野市長選挙に立候補します!№17

2024年4月12日ニュース

 ブログ読者の皆さん、こんにちは。今回号のテーマは前回号に引き続き、
 「4度目の正直は果たしてあるのか?」~その3(完)
 先月、市長選出馬に関して地元紙の取材を受けた時の話であるが、連続3回も市長選挙に落ちているにもかかわらず、まだ諦めずに市長選挙に出ようとする私を不思議がっていた。
「失礼な言い方かもしれないが現職で再選できなかった場合、もう二度と選挙に出ることはない(!)のに、なぜ市長選挙に出続けるのか。」(記者)
「1期4年でやり残した市政課題が残っていた。」(私)
「それにしても、毎回、市長選挙に出ていることが理解できない。結果は負け戦。勝算あっての挑戦なのか。」(記者)
「挑戦し続けることを後押しする動機付けや言葉がある。」(私)

 私の記憶では、私以外に県内の市長経験者で再選できなくて引退した方として、元佐渡市長の三浦基裕氏(2016-2020)と甲斐元也氏(2012-2016)が思い浮かぶ。質問した若い記者にとっては、両氏と同様に若くもない私が市長選挙に挑戦し続けることが不可思議な現象として映っているのかもしれない。

 飽くなき挑戦を動機付ける主なものは、初当選した時の公約の一つだった「市民病院の救急告示復活」で、医師の確保ができなければ解決できない難題だった。しかし当時の市立病院(旧水原郷病院)の民営化(指定管理者制度の導入)や数年後に実現する新病院(現市民病院)の開院によって解決できるという自負はあった。残念ながら再選できなかったことで実現できなかった。議会も私と同じ考えを持っていたらしく、新病院の開院前後の市議会定例会の一般質問で複数の議員が、田中市長に対して新病院での救急復活を質していたが、いまだに実現できていない。

 挑戦し続ける原動力になっている言葉もある。カリスマ理容師田中トシオ氏の言葉だ。
 田中トシオ「何度も挫折した でもそのたびに 夢は近づいた」
 田中氏は新潟県山古志村(現長岡市)出身の理容師だ。田中氏は1992年に世界理美容選手権(現OMCヘアワールド)において個人3種目及び団体(日本代表)としてすべての種目で金メダルを1度に獲得した。そのほかにも数々のヘア関連競技会の入賞歴を持ち、2018年にOMC(世界理美容機構)殿堂入りを果たしている。(ウキペディア)

 私は県職員時代に東京都渋谷区表参道にある新潟県の情報発信館「表参道新潟館ネスパス」に勤務した経験がある(2001-2003)。勤務していた時期に田中トシオ氏の個展がネスパスで開催され、私は額縁に入った田中氏の文画集を思わず手に取った。ピーマンの絵と次の言葉に心が奪われた。
 「何度も挫折した でもそのたびに 夢は近づいた」
 私の部屋に飾ってある縦12センチ、横17センチほどの小さな額縁(近くで見たらほこりがたまっていることが判明!)に収まった田中氏の言葉とピーマンの絵を眺めていると、なぜか勇気が湧き出てくる。(今回号で終了)

posted by 地域政党 日本新生 管理者