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小説「廃屋の町」(第60回)

2017年8月23日ニュース

 甘木は風間を誘って、野上昭一の家の玄関に向かった。二人は引き戸を開けようと、捕手に手を掛けた。建て付けが悪いのか、ギー、ギー、ギーと音を上げながら戸を開けた。
「ごめんください」
 しばらくして、奥から「どちら様ですか?」と男の声が聞こえた。
「市長選挙に立候補を予定している甘木雄一と申します。ご挨拶に伺いました」
「いま、そっちに行きます」
 80過ぎと思われる白髪交じりの老人が猫を抱いて玄関に現れた。
「初めまして、市長選挙に立候補を予定しています甘木雄一です」
 老人は風間から渡された政策チラシに載っている甘木の顔写真を凝視した後、顔を上げた。
「甘木雄一ねー。あんたの顔かたち。死んだ息子にそっくりだ」
「私の顔が亡くなった息子さんに似ているってことですか?」
「そうだよ。死んだ息子が生き返って家に戻って来たのかと思ったよ」
「失礼ですが、息子さんは幾つの時に亡くなったんですか?」風間が尋ねた。
「息子が死んだのは、確か22の時だったんじゃないかな。冬山で遭難して死んだと聞いているよ」
 老人が答えた。
「聞いているって?お爺さんは息子さんのお父さんでしょう?息子さんの葬儀には参列しなかったんですか?」風間が老人に尋ねた。
「訳あって葬儀には出られなかったんだ。玄関での立ち話もなんだし。ご覧のとおりのあばら家だが、まあ上がってくれないか」老人が二人を招き入れた。
「失礼します」と言って、二人はミシミシと音を立てながら、老人の後に続いて廊下を歩いた。二人は6畳間に通された。中央には座卓が置かれ、片隅には仏壇が据えられていた。老人は座布団を座卓の脇に敷いた後、「さあ、座って」と言って、二人に着座を促した。
 老人は茶葉を入れた急須に湯を注いだ後、「さあ、どーぞ」と言って、お茶の入った湯呑を二人に差し出した。
「ありがとうございます。いただきます」と言って、二人は老人から湯飲みを受け取った。
「すみません。あの遺影は、もしかして亡くなった息子さんですか?」
 風間が老人に尋ねた。仏壇の奥に立て掛けられた遺影は、未成年のような顔立ちをした青年が山頂に立っている写真だった。左手でVサインを作って得意満面の笑みを浮かべている。
「これは剣岳山頂で撮った写真ですね。立山室堂~剣沢~別山尾根経由で登頂したんですね。指でVサインを作っている息子さんの写真を撮ったのはあなたですね?」甘木が言った。
「詳しいね。甘木は剣岳に登ったことがあるの?」風間が尋ねた。
「ああ、高校に入ってからね」甘木が答えた。
「よく分かったね。あれは中学生の息子と初めて剣岳に登った時の写真だよ。山が好きな子でね。中学に入ってから本格的に登山を始めたんだ。城南大学の夜間部に入ってからも登山は続けていたようだ。山好きの息子だったが、死んだ場所も山だった。大学の友達と冬の剣岳を登っていた時に滑落して死んだ。息子が生きていれば、あんたたちのような歳になっていただろうね。それにしても、甘木さんの顔立ちは息子とそっくりだ」老人はまた同じ言葉を繰り返した。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者