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小説「廃屋の町」(第58回)

2017年8月19日ニュース

 甘木は事務所を構えてからも、風間ら同級生と大票田の市街地での挨拶回りを重ねた。
 ある冬の寒い日、甘木は風間の運転する車に乗って住宅街を走行していた。放射冷却の影響だろうか。日陰になっている路面は所々で凍っていた。風間が運転する車の50メートルほど先を走っていた自転車が突然、凍結した路面に車輪がとられ横転してしまった。甘木と風間は車を路肩に止めて横転した自転車に向かった。
「大丈夫ですか。お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫です」
 70代と思われる女性がコートについた汚れを払いながら応えた。幸い車の通行が少ない時間帯だったので大事に至らずほっとした。しかし自転車の荷台に積んでいた買い物袋が横転したはずみで路面に散らばってしまった。
 破けた買い物袋から生卵の入ったケースがはみ出ていた。生卵は割れて黄身が滲み出ている。甘木と風間は路面に散乱した二個の買い物袋を集めて女性に渡した。女性は買い物袋を荷台に載せて自転車を押して帰ろうとしたが、転んで足をくじいたのか思うように自転車を押せない。
 甘木は「お近くにお住まいでしたら、ご自宅まで自転車を届けてあげますよ」と女性に申し出た。
「ありがとうございます。私の家はここから歩いて5分くらいの所にあります。申し訳ありませんがよろしくお願いします」と女性は礼を言って、二人に自転車を預けた。
「買い物に行く時はいつも自転車ですか?」風間が尋ねた。
「主人が生きている頃は、主人が運転する車で買い物に出掛けていましたが、5年前に主人が亡くなってからは、バスや自転車で買い物に出掛けています。ちょっとした買い物は近所の食料品店で用が足りたんですが、その食料品店も店主の高齢化と後継ぎがいないことで、最近、店を閉じてしまいました」
「失礼ですが、お一人で生活されているんですか?」甘木が尋ねた。
「ええ、一人暮らしです。息子が一人いますが、息子夫婦は東京で暮らしています」
「最近、高齢者の一人暮らしが増えているようですが、一人で生活していて不便なこととかはありますか?」甘木が尋ねた。
「買い物に行くにも病院に行くにも大変です。普段は市バスを使って出掛けるんですが、市バスは平日しか走っていませんし、それに本数が少ないので困っています。日曜日の今日は少し離れた所にあるスーパーの特売日だったので自転車に乗って買い物に出掛けましたが、こんな事になってしまって、皆さんにご迷惑をお掛けして申し訳なく思っています」
「そんなことはないですよ。それよりも、お怪我がなくて何よりです。一人暮らしをしていて、不安に感じることってありますか?」甘木が尋ねた。
「変な電話が時々、掛かってきて困っています。オレオレ詐欺っていうんですか?この前、息子の名前を語って、役所のお金を使い込んでしまって、役所に賠償しなければならないから、100万円を振り込んでくれっていう電話がありました。もしかして詐欺じゃないかと思って、息子の生年月日を聞いたんです。そしたら、突然、電話が切れてしまいました」
「被害に遭われなくて良かったですね。最近、一人暮らしの高齢者を狙った振り込め詐欺が増えているようですが……」風間が言った。
「そうですね。この町内もお年寄りだけの世帯が多くなりました。私の場合は、振り込め詐欺に遭わなかったんですが、隣の町内に住んでいる友人が詐欺に遭ってしまいました。警察には被害届を出したそうですが、息子さんには内緒にしているってことです」
「どうしてですか?」風間が尋ねた。
「息子さんに詐欺に遭った話をすると、叱られるからって言っていました。ところで皆さんは、お仕事か何かで、この町内に来られたんですか?」
「すみません、私たちは挨拶回りをしています」甘木が言った。
「挨拶回り?」
「私は、4月の市長選挙に立候補する甘木雄一と言います。私が市長になったら、お年寄りが歩いて買い物に行ける町、歩いて病院や医者に通える町、介護サービスも充実した高齢者に優しい町づくりを目指します。どうか甘木雄一をよろしくお願いします」
 甘木は女性にチラシを渡した。女性はチラシに掲載された甘木の顔写真を見ながら、
「あなたが今度の市長選挙に出られる甘木さんですね?この前、新聞に載っていましたね。随分と若いですが、お幾つですか?」
「52歳です」
「息子と同い歳でね」
「私も甘木君と同じ中学校の同級生で風間と言います」
「皆さんはどちらの中学ですか?」
「僕たちは田沼第一中学の卒業生です」風間が答えた。
「息子と同じ中学ですね」
「同じ中学でしかも同じ歳であれば、同級生かもしれませんね。差し支えなければ、息子さんの名前を教えてもらっていいですか?」風間が尋ねた。
「はい、斉木正則といいます」
「あの斉木君ですか。我々と同じクラスでした。斉木君は高校を卒業した後、東京の大学に進学して、公正取引委員会に勤めているって話を聞いたことがありますが……」風間が言った。
「ええ、東京の城東大学を出た後、そのまま就職して、今は東京で暮らしています」
「斉木君は、実家に帰って来ることがあるんですか?」甘木が尋ねた。
「夫が生きていた頃は、年末年始の休みには孫を連れて帰ってきたこともありましたが、偉くなったら忙しくなったのか、ほとんど顔を見せません」
 無事に自宅に戻った女性から、「ほんとうにありがとうございました」という感謝の言葉をもらいながら、二人は女性の自宅を後にした。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者