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小説「視線」(第12回)

2017年3月4日ニュース

 男は食事の時間以外は2階の自室に籠って、孫の雄太と工作する乗り物の試作品作りに没頭した。男の器用な手さばきで机の上に広げた化粧箱がカッターで切りとられ、乗り物のパーツが次から次へと出来上がる。男が時折、疲れた首を持ち上げると、写真立てに入った1枚の写真と向き合う。色あせた写真には、台座に据えられた神輿の前に立っている法被姿の3人の子供が写っている。男と二人の兄だ。真ん中に立っているのが長兄の勇一、右側には次兄の健二、左側には男が立っている。子供の頃、男の郷里で毎年行われていた秋祭りの写真だ。
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷……」
 男は童謡「ふるさと」を口ずさんだ。脳裏に子供の頃に過ごした郷里の情景が蘇った。
 家の前に広がる田んぼの絨毯、緑や黄色の中に点在する農村集落、背後に見える山並み。男が子供の頃に過ごした故郷には四季折々の色と匂いと音があった。
 春の緑色、夏の青色、秋の黄金色、冬の白と黒。
 春は青葉の匂い、夏は草いきれ、秋は稲わらの匂い、冬は鼻を刺す冷たい空気の匂い。
 ド、ド、ド ダ、ダ、ダ 春はたんぼを耕す耕運機の音。
 ジー、ジー、ジー 夏は蝉の声。
 ザク、ザク、ザク 秋は鎌で稲穂を刈り取る音。
 ヒュー、ヒュー、ヒュー 冬は北風の音。

 男は東北地方の寒村にある農家に生まれた。戦時中は小作農家だった男の家は、終戦後、GHQの指令で行われた農地改革によって、小作地の払い下げを受けて自作農家となった。この農地改革は、GHQが行った日本の民主化政策の一つで、地主制度の解体を目的に、大地主と小作人との経済的な支配従属の関係を解消させるために行われた。不在地主の全所有地と、在村地主の貸付地のうち都道府県で平均1町歩、北海道で4町歩を超える分を、政府が強制的に地主から買い上げて小作人に極めて安い価格で売り渡した。また政府は終戦直後の食糧不足を克服するため、「食料増産・自給政策」を推進した。自作農家の米作りを奨励する目的で、政府から打ち出された食糧管理制度に守られて、男の家では農地改革で払い下げられた2町歩の自作地を少しずつ増やして3町歩ほどに広げた。
 男が子供の頃の農業は機械化が始まったばかりで、人力がまだ主流の農作業は多くの人手と手間のかかる重労働だった。当時の米農家が抱えていた慢性的な労働力不足を補ったのが子供だ。食べる物に困らない農家には子供が自然と多くなる。男には自分を含めて5人の兄弟姉妹がいた。2人の兄、それと姉と妹だ。

 田んぼ仕事は雪消え間もなく行われる「田起こし」から始まる。田起こしは雪の重みで硬く締まった田んぼの土を掘り起こし砕いて柔らかくする作業だ。次に田んぼに水を引き入れ更に細かく土を砕いて柔らかくし、最後に平らにならす「代掻き」が行われる。「田起こし」と「代掻き」は耕運機を使って行われた。耕運機がまだ普及していなかった頃は馬に鋤を引かせていたようだ。微かに残っている幼少期の記憶を辿ると農作業場の隣に厩があった。米作りは種蒔きから始まる。発芽させた種籾を苗代田に蒔いて苗を育てる。程よく伸びた苗を抜き取り田んぼに植える「田植え」が始まる。夏場は田んぼの草取りに追われる。

 お盆過ぎ頃から稲の開花が始まり結実期を迎える。九月に入ると黄金色に色づいた田んぼにはずっしりと重たくなった稲穂が頭を垂れながら、風になびいている。間もなく「稲刈り」が始まる。しかしこの時期は、農家にとってはやっかいな台風シーズンでもある。鎌で刈り取った稲は稲架木に掛けて天日干しにする。乾燥させた稲穂から籾をはずす「脱穀」、籾から籾殻を除いて玄米にする「籾摺り」を経て出荷用の玄米が出来上がる。玄米は60キロ入りの麻袋に詰められて農協に出荷される。田起こしから始まった一連の農作業は袋詰めした玄米を出荷した段階で終わる。
(作:橘 左京)

posted by 地域政党 日本新生 管理者